shaitan's blog

長文書きたいときに使う.

序章-4【人種・民族・語族】

ホモ・サピエンス

地球上のすべての現生人類は、生物学的にはホモ=サピエンス=サピエンスという1つの種に属する

p. 11

とあるが、Homo sapiens sapiens と言った場合は亜種なので「種」と書くのは不適切ではないだろうか。
ホモ・サピエンスという種の定義にもいくつかの異なる考えがある。1980~90年代にかけては、ネアンデールタール人などの旧人を、現代人と一緒にホモ・サピエンスとすべきであるという考えが強くあった。この場合、ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの亜種とみなされ、学名はホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスとなる。[…]今ではこの[ホモ・サピエンスの]定義はあまり使われなくなってきている。現在一般化しつつある定義は、[…]現代人および現代人とほぼ同様の骨格形態を示す過去の人類を、ホモ・サピエンス種とする。これは、人類を猿人、原人、旧人、新人の四段階に分けたときの新人に相当する。〉*1 しかし、『研究』には、

旧人(ホモ=サピエンス Homo sapiens)とよばれる人類が、

p. 9

という記述があり、この部分は古い内容が訂正されずに残っているようである。ただ、

ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス Homo neanderthalensis、20万~4万年前)が誕生した。

p. 9

ともあり、こちらでは新しいホモ・サピエンスの定義にあった記述となっている。

民族

言語・宗教・習慣などの文化的な特徴によって、人類を民族 nation という集団に分ける考え方もある。民族という語は人間集団というごく広い意味にも用いられるが、これも人種同様、19世紀の欧米で生み出された極めて曖昧な概念であり、国民国家の形成とともにしばしば恣意的に定義され、客観的な基準をもたないことが多い。

p. 12

とある。現代的な感覚としては曖昧さや恣意性を強調する意義はよく分かる。ただ、次のページから古代史が始まり民族概念が多用されるのにこの説明はいささか不親切ではなかろうか。
実教出版の教科書には「人種・民族にかぎらず、歴史用語には、客観的・中立的にみえても、実際には、その成立の経緯からして権力のある側がその支配を正当化するためにつくりだした、政治的・社会的な含みをもつ用語が多い。世界史を学ぶ目的の一つは、歴史をさまざまな角度から理解するまなざしを養うことである。…[略]…こういった座標軸や分類・整理に使われている世界史のなかの『ものさし』を注意深く探求することも大切な作業である。」*2と詳しく教育的に書いてある。「ものさし」探求の重要性には賛成であるが、用語のもつ含みを一律に支配の正当化という文脈に回収してしまうのもやや一面的すぎるように感じる。また、帝国書院の教科書では「民族は、言語・習慣・伝統など文化の共通性にもとづいて、同じ祖先をもつと意識された人間集団のことである。外敵との戦争など、体験をともにすることで人為的に形成されることが多く、あくまで人間の意識の産物である。」*3と民族内部からの視点で説明されておりユニークである。

語族

世界の諸言語の系統分類表が p. 12 にある。言語の系統分類は諸説ありよく分からないので、現在一般に受け入れられていると思われる、「アルタイ諸語は語族をなさない」「タイ語はシナ=チベット語族に入らない」の2点を指摘するにとどめる。「言語例は代表的なものをあげた」とあるが、自分なら何を挙げるかなどを考えると結構楽しめる。
この「語族」という用語は歴史学では「言語の系統分類で設定した集団概念」*4という意味で使われることがあるらしく、『世界史用語集 改訂版』と『山川 世界史小辞典 改訂新版』*5には人間集団の意味しか載っていなかった。気になって『角川世界史辞典』*6も引いてみたら、こっちは言語群の意味だけが載っていた。

*1:海部陽介『人類がたどってきた道』NHKブックス 2005, p. 25.

*2:木畑洋一ほか『世界史B 新訂版』(世B309)実教出版 2016, p. 21

*3:川北稔ほか『新詳 世界史B』(世B312)帝国書院 2017, p. 12

*4:全国歴史教育研究協議会編『世界史用語集 改訂版』山川出版社 2018, p. 4「語族」

*5:世界史小辞典編集委員会編『山川 世界史小辞典 改訂新版』山川出版社 2004, 「語族」

*6:萩原直「語族」西川正雄ほか編著『角川世界史辞典』角川書店 2001, p. 339