shaitan's blog

長文書きたいときに使う.

第1章①-9【ヘブライ人とユダヤ教】

出エジプト

前13世紀頃に指導者モーセ Moses に率いられてこの地[=エジプト]を脱出した(「出エジプト」)。

p. 25

出エジプト記に「イスラエルの民はファラオの倉庫の町、ピトムとラメセスを建設した。」*1とあり、この「ラメセス…[略]…はエジプト第十九王朝のラメセス二世(在位前1279-1213年)がデルタ地方の首都として建設したもの」*2とされているため前13世紀頃の事件であることが分かる。
しかし、「当時のエジプトは東部の国境をかなり厳しく防衛しており、二人(!)の逃亡奴隷の追跡についての報告さえ残っている。それにもかかわらず、例えばアピル[=非エジプト系寄留者]たちの大量脱出に類する報告はまったく残されていない。また、エジプトとパレスチナを結ぶシナイ半島の諸ルートや、特にイスラエルの祖先たちが長く逗留したとされるカデシュ(申一46等参照*3)にも、前十三世紀に大きな集団が通過したり滞在したことを示す住居跡や土器の破片など、何も発見されていないのである。…[略]…記録にも残らない些細な出来事、…[略]…考古学的な痕跡も残さないような小規模な事態だったのであろう。」*4

ダヴィ

前13世紀頃から東地中海沿岸一帯には、系統不明のさまざまな集団からなる「海の民」とよばれる民族が侵入し、ヒッタイト帝国を滅亡させ、またエジプト新王国はかろうじてこれを撃退した。…[略]…彼らの活動によってヒッタイトやエジプトの勢力が後退したことから、シリア・パレスチナには政治勢力の空白が生じ、それに乗じてセム語系民族のアラム人・フェニキア人・ヘブライ人が活動を開始した。

p. 24

第2代の王ダヴィ David(位前1000頃~前960頃)はペリシテ人を撃退してパレスチナ全土を支配化におき、イェルサレムを都として統一王国の基礎を固めた。

p. 25

パレスチナは、エジプト、アラビア、シリア、メソポタミアを結ぶ陸橋地帯にあり、戦略上、経済交流上の要衝であったので、常に周辺世界の大国の利害関心の集中する地域であった」*5が、ダヴィデ時代の王国の躍進には上記の「海の民」の侵入に起因する混乱の他に、「メソポタミアでは、新興のアラム人勢力に押されてアッシリアが一時的に歴史の舞台から後退し、バビロニアでも王朝交代とそれに伴う混乱やエラム人の侵入が続」*6いていたという背景があった。

ヘブライ語聖書

旧約聖書』はヘブライ人の伝承、神への賛歌、預言者の言葉を前10~前1世紀の間にまとめたユダヤ教の教典である。

p. 26

ユダヤ教の教典である」と言い切るなら『タナハ』と呼ぶべきではないか。少なくとも中立な表現であることが望ましい。「今日ではユダヤ教キリスト教との対話が進められており、キリスト教の側からは『旧約聖書』という失礼な呼び方を避ける配慮が求められている。…[略]…『旧約聖書』という代わりに『ヘブライ語聖書』と呼ぶように気をつけたい。」*7内容を「ヘブライ人の伝承、神への賛歌、預言者の言葉」と書いているのも中途半端にかみ砕いている感が否めない。
成立時期についてであるが、「旧約聖書の断片的な伝承は、部分的には前1000年頃にまでさかのぼる」*8ものの、「ほぼ現在の旧約聖書の形ができてきたのは、前五世紀~前三世紀頃、初期ユダヤ教の形成の時代とされている。」*9また、「旧約聖書ヘブライ語正典全部が成ったのは後100年頃で、いわゆるヤムニア会議…[略]…以降承認されて決定された。」*10「前10~前1世紀の間」というのが何を指しているのかはよく分からない。

*1:出1:11 訳文は聖書協会共同訳を使用。以下同様。

*2:山我哲雄『聖書時代史 旧約篇』岩波現代文庫 2003, p. 29

*3:「こうして、あなたがたがカデシュにとどまった日々は長期に及んだ。」(申1:46)

*4:山我 op. cit., p. 31

*5:Ibid., p. 87

*6:Loc. cit.

*7:百瀬文晃『キリスト教の原点 キリスト教概説I』教友社 2004, p. 11
ただしこれはあくまでも「ユダヤ人と接する機会があれば」配慮すべきという意味であり、キリスト教内部での呼称を変えるべきだとの主張がなされているわけではない。

*8:Ibid., p. 12

*9:Loc. cit.

*10:S. ヘルマン「旧約聖書正典の成立」S. ヘルマンほか『聖書ガイドブック 聖書全巻の成立と内容』泉治典ほか訳 教文館 2000, p. 164
ここで「ヘブライ語正典全部」というのはいわゆる『続編』を含まない。