shaitan's blog

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第1章①-11【アケメネス朝】

アケメネス朝

アケメネス朝建国の祖であるキュロス2世 Kyros II(位前559~前539)

p. 27

キュロス二世はアケメネス家の出ではないらしく、王家を簒奪したダレイオス1世により「ハカーマニシュ[=アケメネス]家の系図の中にクル[=キュロス]王家の系図を嵌め込んで、両者は同じ一族であるかのように見せかけ」*1られただけのようである。実際、「ダーラーヤワウ[=ダレイオス]一世以降の皇帝が、由緒正しい古代ペルシア語に基づく三種類の即位名――ダーラーヤワウ、クシャヤールシャン[=クセルクセス]、アルタクシャサ[=アルタクセルクセス]――しか使用せず、チシュピシュ[=ティスペス]とかクル、カンブジヤ[=カンビュセス]と名乗った皇帝が一人もいないことから、第二代カンブジヤ二世と第三代ダーラーヤワウ一世の間に深い断絶」*2がある。更に、「キュロス二世は…[略]…自分をアカイメネス朝の王と名のったことは一度もない。」*3
先に引用した青木の著書『アーリア人』では「固有名詞…[略]…をできる限りイラン系アーリア語表記」*4してある。そのため、アルタクセルクセス(ギリシア語形)はクセルクセスにアルタが加わっただけに見えるが実はそうではないということが分かる。ヘロドトスは「クセルクセスは『戦士アレーイオス』、アルタクセルクセスは『大いなる戦士メガス・アレーイオス』の意である。」*5と解釈しているがこれは松平が訳注で指摘しているとおり誤りである。

王の目

王は「王の目」「王の耳」とよばれる監察官を巡回させ、彼ら[=知事]の動向を監視した。

p. 28

ヘロドトスは次のような逸話を伝えている。「遊びの間に子供たちは、…[略]…この子供[=のちのキュロス2世]を、自分たちの王様にえらんだのである。王様にえらばれたその子供は、子供たちの分担をきめ、…[略]…いわば『王の目』となるもの、…[略]…というふうに子供ひとりひとり役目を与えたのである。」*6これはメディア最後の王アステュアゲスの時代の話であるから、「ダレイオス1世が定めた行政査察官」*7であることと整合しない気がするのだが、これは単にヘロドトスがいい加減なこと書いただけなんだろうか。

王の道

サルデス・エクバタナ・バビロン・ニネヴェなど全国の要地を結ぶ『王の道』とよばれる国道をつくり

p. 28

この「王の道」の図であるが、『詳説世界史研究』(図1)と『詳説世界史図録』(図2)*8では道が異なる。本文の記述に合わせてエクバタナとバビロンも通るような図になっているようだ。高校の教科書等をいくつか確認してみたが、いずれも図2のようにスサとニネヴェとサルディスを結ぶ一本の道のみが描かれている*9。プッツガー歴史地図も同様に道は一本だけ*10。ただ、線の曲がり方がまちまちなため、適当に線を引いているところも多いのではないかと思われる。そもそも「正解」が分かっているわけではないので仕方ないのだろうが、ちょっと面白かった。他に細かいことを言うと歴史地図において当時存在しなかった地形(シリアのアサド湖など)があるのも気になるといえば気になる。
恐らくミスだと思われる箇所として、図1では「アケメネス朝の最大領域」の凡例が抜けている点と、「現在の国境」で係争中の部分も実線になっている(図2では破線である)点を指摘しておく。また、両者に共通することであるが、ヨルダン川西岸地区に線を引っ張って「イスラエル」と書いているのは攻め過ぎではなかろうか。

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図1:p. 28「アケメネス朝」図
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図2:『詳説世界史図録』の「アケメネス朝の領域」の図

ゾロアスター

教祖ゾロアスター Zoroaster については、実在は確かであるが、活動時期は前1300頃~前1000年頃とする説と、前630頃~前553年頃とする説が対立している。

p. 29

活動時期の後者の説の根拠は、「ギリシア語文献における『アレクサンダー大王の258年前』との記述にすぎず、今日ではこの間接的な証拠を真に受ける研究者はほとんどいない。」*11また、前者の説の根拠は、「アヴェスター語の古層から新層への発展にどれほどの歳月が必要だったかという曖昧な言語学的基準と、アヴェスター語の発展とインドのサンスクリット語の発展がどの程度の対応関係にあるかという、さらに曖昧な言語学的基準である。」*12研究者の間でも推定には幅があり、「前1700~1200年」と主張する学者もいるとのことである*13。また、活動した地域についても証拠は断片的であり、「現在のところ、タジキスタン東部がザラシュストラの故地の最有力候補となっている。」*14

ゾロアスター神学

善悪二元論に基づき、世界は善(光明)の神アフラ=マズダ Ahura Mazdā と悪(暗黒)の神アーリマン Ahriman との絶え間ない戦いであるが、最終的には光明神が勝利し、最後の審判によって善き人々の魂も救われると説く。

p. 29

この文には「説く」の主語がないが、文脈上ゾロアスターがそのように説いたように読める。しかし、「ゾロアスター教思想の最初期段階では、『アンラ・マンユ[=アーリマン]』と戦うのは飽くまで『スペンタ・マンユ』の役割であって、アフラ・マズダー本人は高次の次元で傍観しているだけである。」*15アフラマズダとアーリマンが戦うと言われるのは、「9~10世紀に編纂されたパフラヴィー語文献の中では、アフラ・マズダー(パフラヴィー語でオフルマズド)はアンラ・マンユ(パフラヴィー語でアフレマン)と直接対峙する設定に変更されている」*16ためであり、これは最後期のゾロアスター教神学である。

*1:青木健『アーリア人講談社 2009, pp. 117f.

*2:Loc. cit.

*3:森谷公俊「ダレイオス一世とアカイメネス朝の創出」小島建次郎ほか『ユーラシア文明とシルクロード ペルシア帝国とアレクサンドロス大王の謎』雄山閣 2016, p. 71

*4:青木 op. cit., p. 257

*5:ヘロドトス「歴史」松平千秋訳『ヘロドトス 世界古典文学全集 第10巻』筑摩書房 1967, p. 290(VI. 100)

*6:Ibid., p. 41(I. 114)

*7:「王の目・王の耳」世界史小辞典編集委員会『山川世界史小辞典(改訂新版)』山川出版社 2004, p. 115

*8:日下部公昭ほか編、木村靖二ほか監修『山川 詳説世界史図録(第3版)』山川出版社 2020, p. 16

*9:福井憲彦ほか『世界史B』(世B308)東京書籍 2016, p. 36
木畑洋一ほか『世界史B 新訂版』(世B309)実教出版 2016, p. 30
木村靖二ほか『詳説世界史 改訂版』(世B310)山川出版社 2016, p. 23
川北稔ほか『新詳 世界史B』(世B312)帝国書院 2017, p. 18
岸本美緒ほか『新世界史 改訂版』(世B313)山川出版社 2017, p. 27
帝国書院編集部編『地歴高等地図 現代世界とその歴史的背景』帝国書院 2019, p. 32
帝国書院編集部編『最新世界史図説タペストリー十八訂版』帝国書院 2020, pp. 5, 60
『地歴高等地図』は出典として〔Putzger Historischer Weltatlas〕と書いてあるのだが王の道の形状に関してはプッツガーとは異なる。山川はどれも同じデータを使いまわしている。帝国書院は地図ごとに線を引いているようで、本によって曲線はまちまちなうえ、タペストリーのp. 5とp. 60の地図の間ですら道の曲がり方が一致しない。

*10:帝国書院編集部編『プッツガー歴史地図 日本語版』帝国書院 2013, p. 34

*11:青木健『新ゾロアスター教史』刀水書房 2019, p. 17

*12:Loc. cit.

*13:Loc. cit.

*14:Ibid., p. 21

*15:Ibid., p. 39

*16:Loc. cit.