バクトリア王国
ギリシア人が支配者であったバクトリア王国ではヘレニズム文化が栄えた。
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「1965年、フランスの考古学調査隊が、アイ・ハヌムでギリシア都市の遺跡を発掘し…[略]…ここがバクトリア王国の中心都市の一つであったことを明らかにした。…[略]…発掘の責任者、ベルナール教授…[略]…によると、建築技術はおおむねギリシア風であるが、建築の全体的なプランは非ギリシア的であ[り、]…[略]…メソポタミア、アカイメネス朝ペルシア、中央アジアという三つの様式が見られる。…[略]…ヘレニズム時代のアジアは、さまざまな文化が織り込まれた多元的な世界として理解されなければならない。ギリシア文化はその中の重要ではあるが、あくまでも一つの要素なのである。」*1