shaitan's blog

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第1章②-3【ポリスの成立と発展】

集住

集住は、アテネ Athenai のように有力貴族だけが中心市に集まる形態や、

p. 35

集住と言っても「実際に都市部に住民が移住したかどうかは問わない…[略]…アテネでは、相互に独立した村々の貴族層が、中心市に政治的結集をしてポリス形成が行われたという。」*1これはトゥキュディデスの伝える「テーセウスが王位につくと、…[略]…各地方の政治機能を全部集約して現在のアテーナイ市に統合した。王は住民たちには従来のとおり各地各村の土地の耕作をゆるしたが、自治機関たるポリスの機能をアテーナイただ一市に認めることを要求した。」*2に依るものであろう。しかし、Hansen はこれを"mythological fiction"と断じ、"Physical relocation of communities was the central aspect of all attested synoecisms, sometimes accompanied by the setting up of a new polis in the political sense" とする。*3

ポリス

前8世紀にはいると、それまでばらばらに定住していたギリシア人は、小さな地域ごとの安全を確保するため、有力者である貴族の指導のもとにいくつかの集落が連合し、アクロポリス akropolis(城山)を中心に人々が集住(シノイキスモス synoikismos)して都市を建てた。ここに成立したギリシア特有の都市国家ポリス polis という。…[略]…ポリスは防衛の中心となって人々の定住を促したため社会は安定し、暗黒時代は終わった。
…[略]…
社会が安定すると人口も増加し土地が不足したので、前8世紀半ばからギリシア人は大規模な植民活動に乗り出し…[略]…各地に植民市 apoikia が建設された。

pp. 34f

この記述は「植民市建設のプロセスはギリシア本土の都市化を経て、その後植民市に都市化のアイデアが伝わったとするもの」*4であろう。これに対し、Hansenらは "the polis emerged in the homeland and in the colonies more or less simultaneously; but in the colonies the new start and the proximity of an indigenous and sometimes hostile population speeded up the formation of the polis both as a walled town and as a political community so that, in some regions, the fully-fledged polis emerged more rapidly in the colonies than in the homeland"*5という見方を提唱している。

エトノス

ポリスこそギリシア文明の母体となる社会であった。
…[略]…
他方、バルカン半島の北部や西部には、同じギリシア人の社会でも、ポリスがつくられず、部族のゆるい連合体(エトノス ethnos)が国家を形成する後進的な地域もあった。

p. 35

トゥキュディデスは「今日にいたるまで、オゾリスのロクリス人、アイトーリア人、アカルナーニア人などの住む内陸地帯や、それらに隣接するギリシアの諸地方では太古の生活様式がつづいている」*6と書いており、ポリスに住んだ古代人もそれ以外の地域を「後進的」と評価していた。近代以降の研究においてもエトノスはあまり重視されてこなかったが、見直しの動きが進んでいるとのことである。*7

植民

人口の増加や貴族の政権争いが原因となって、海外に土地を求める下層市民が貴族の指導によって植民に出かけていった。

p. 35

植民に関する周藤の分析が面白かったので引用する。
「前古典期のポリスの多くは、独立した政治単位としての自律性と一体性を保持するために、社会が発展する過程で共同体の内部に意見を異にする集団が生じた場合には、これを植民団として外に送り出すことによって問題を解決していたと考えられる。…[略]…国制改革もまた、植民に代わる有効な共同体内部の調整機能を果たしうるものだった…[略]…結果的には植民ではなく国政改革によって共同体内部の問題を解決したポリス[=アテネとスパルタ]こそが、古典期に強国としてさらに発展していくことになったのである。」*8

文字とホメロス

それ[=フェニキア文字]をもとにギリシア語アルファベットがつくられた。これは…[略]…ホメロスの詩など文学の成立をも促した。

p. 35

ホメロスの詩の成立に対する文字の寄与がどれほどであったかは難しい。ホメロスは口誦叙事詩人であったと考えられている。「口誦叙事詩人は、…[略]…その場で新しい詩を、その場の状況に応じて組み立てる…[略]…。単語・文章・場面・物語の展開、様々なレベルでストックがあって、臨機応変に大きくも小さくも組み合わせられる。こうした作業を可能にするシステムが長い長いエポスの伝統として、ホメーロス以前に十分に発達しできあがっていた。」*9「このような叙事詩の技法は、文字を用いなかったからこそ発達したのであって、口頭的な叙事詩人にとっては文字は全く無用の長物なのである。」*10
現在にまで伝わる「書かれた」作品が成立するにあたっては、詩人が詩を語り、書記が書いたのだと考えられる*11。「筆記者のために語り聴かせるということになれば、詩人は自分の能力と知識のすべてを出しつくして、数日間も語り続けることができたはずである。それゆえ、実際の祭典などでの口演のときよりも、かえって内容が豊富で長大な作品が筆録され」*12たのであろう。少なくともそのような意味では文字は影響を与えていると言える。

ヘレネス

ギリシア人は…[略]…文化的には、方言の差こそあれ共通のギリシア語を話していること、オリンポス12神を中心とした神々と神話を信じていること、デルフォイ(デルフィ)のアポロン神の神託を信奉し、また4年に1度開かれるオリンピア Olympia の祭典(古代オリンピック)に参加することなどにより、同一民族としての意識をもちつづけた。彼らは自分たちをヘレネス Hellenes、異民族をバルバロイ barbaroi (わけのわからない言葉を話す者の意)とよんで区別した。

p. 36

ギリシア人の同胞意識といえば、ヘロドトスの伝える、アテナイ人のスパルタ使節団への言葉が有名である。「われわれが等しくみなギリシア人同胞*13であり、血のつながりをもち言語を同じくし、神々を祀る場所も祭式も共通であるし、生活様式も同じであることで、アテナイ人がこの同胞を敵に売るようなことは許されることではあるまい。」*14
ただし、「このような言語、宗教、生活習慣を基準とした共通意識は、この頃[=ペルシア戦争の頃]すでに長いことギリシア人のあいだで共有されていたのかと言えば、決してそうではない。ギリシア人を意味する『ヘレネス』という語は、ギリシア人としての一体感(アイデンティティ)の表出として理解できるが、この語は前古典期の後半になってできあがったにすぎない、と最近では指摘されている。ポリスという境界を超えて、人々が抱くようになったギリシア人としての一体感は、ペルシア戦争で異民族(バルバロイ、すなわちペルシア人)と対決したことによって鮮明になっていった、というのである。」*15
この『ヘレネス』という語の成り立ちであるが、ブルクハルトによれば「ヘラスという名称は最も初期の記述においては北方の二つの地区、すなわちテッサリアのプティオティスと(アリストテレスによれば)エペイロス地方のドドナの周辺を指してそう呼ばれていたが、その後この名称はテッサリア全体に、さらにはイストモス(コリントス地峡)以北全部に、そして最後にペロポネソス半島と諸島嶼にまで拡大され、ついにはヘレネスという言葉は非ギリシア人以外のすべての者を意味するようになった」*16
[2022.1.5追記]
また、バルバロイという言葉についても、〈ストラボンによれば、ホメロスはバルバロフォノスという言葉は用いても、バルバロスという言葉は使っておらず、また使われたとしても、バルバロスという言葉は、耳ざわりな話し方をする人びと、あるいは発音が重く聞きとりにくい口のきき方をする人に向けた擬音語として用いられたのであって、ギリシア人と区別するために軽侮の意味をふくませた『非ギリシア人』を指すものではなかった〉*17*18 とのことであり、トゥキュディデスも〈ホメーロスは「バルバロイ(非ギリシア人)」という言葉をつかっていない。〉*19 と書き残している。〈バルバロスという言葉が排斥的意味をもつようになるのは対ペルシア戦争という体験を通してであった。〉*20

オリンピック

オリンピアの祭典はとくに体育競技で有名であり、…[略]…前776年の第1回大会から

p. 36

前776年というのはオリンピアード紀年法によって逆算したものらしい。オリンピアード紀年法とは「前三世紀から一般化する古代ギリシア世界共通の暦年[であり、]…[略]…オリンピックとオリンピックの間の四年間を『オリンピアード』と呼んで、ある特定の年を『第〇オリンピアードの第〇年』というように記録する方法」*21である。なお、この体育競技の開始年代は考古学的調査(前800年頃から、以前よりもっと広い範囲の地域からの奉納品がめだつようになり、オリンピアの祭典が国際化したと考えられる*22)とも矛盾しないとのことである。

*1:古山正人「シュノイキスモス」西川正雄ほか編集『角川世界史辞典』角川書店 2001, p. 443

*2:トゥキュディデス『戦史 上』久保正彰訳 岩波文庫 1966, p. 208(II. 15)
同様の話はプルタルコス『英雄伝』「テセウス」の24章にも見られる。

*3:M. H. Hansen, "Theses about the Greek Polis in the Archaic and Classical Periods: A Report on the Results Obtained by the Copenhagen Polis Centre 1993–2003", Historia: Zeitschrift für Alte Geschichte 52 (2003), pp. 257–282. https://www.jstor.com/stable/4436692 http://www.teachtext.net/bn/cpc/cpc_95theses.html

*4:竹尾美里「ポリス形成論」藤井崇ほか編著『論点・西洋史学』ミネルヴァ書房 2020, p. 5

*5:Hansen, op. cit.

*6:トゥキュディデス op. cit., p. 59(I. 5)

*7:岸本廣大「古代ギリシアの連邦とその受容」藤井ほか編著 op. cit., pp. 20f

*8:周藤芳幸『古代ギリシア 地中海への展開』京都大学学術出版会 2006, pp. 163f

*9:逸身喜一郎『ギリシャ・ラテン文学 韻文の系譜をたどる15章』研究社 2018, p. 43

*10:藤縄謙三『ホメロスの世界』新潮選書 1996, p. 45

*11:A. B. Lord "Homer's Originality: Oral Dictated Texts", Transactions and Proceedings of the American Philological Association 84 (1953), pp. 124-134. https://www.doi.org/10.2307/283403 https://chs.harvard.edu/CHS/article/display/6179.2-homer-s-originality-oral-dictated-texts

*12:藤縄 op. cit., p. 46

*13:原文(Perseus Digital Library: Herodotus, The Histories, book 8, chapter 144, section 2)は Ἑλληνικόν であり、中性の形容詞による集合名詞的用法(高津春繁『ギリシア語文法』岩波書店 1960, p. 285f)。

*14:ヘロドトス「歴史」松平千秋訳『ヘロドトス 世界古典文学全集 第10巻』筑摩書房 1967, p. 408 (VIII. 144)
これはペルシアと講和しない二番目の理由であり、「第一の、しかも最も重大な理由とは、神々の神体や社殿が焼き払われ破壊されたこと」である。

*15:桜井万里子「プロローグ」桜井万里子ほか編『古代オリンピック岩波新書 2004, p. 9

*16:J. ブルクハルト『ギリシア文化史 第一巻』新井靖一訳 筑摩書房 1991, p. 24

*17:前田耕作『アジアの原像 歴史はヘロドトスとともに』日本放送出版協会 2003, p. 45.

*18:Homer, Iliad, Book 2, line 867 に βαρβαροφώνων の語があるのみ。

*19:トゥキュディデス op. cit., p. 58.(I. 5)

*20:前田 loc. cit.

*21:橋場弦「第1章 古代オリンピック」橋場弦ほか『学問としてのオリンピック』山川出版社 2016, pp. 6f

*22:Loc. cit.