shaitan's blog

長文書きたいときに使う.

ドイツ語入門(人称代名詞(主格)①)

タイトルは『本気』の学習項目から取るようにしているのだが、今回は第1課の〈人称代名詞(1格)と[…]〉*1 を少し変えた。
ドイツ語では格を表すのに数字を用いることが多いが、角田太作はこれを批判して次のように書いている。〈私が習った独語の教科書は、格の名称に「1格、2格、3格、4格」を使っていた。これでは一体何だか分からない。独語の格の意味や用法は他の言語との共通点があるのに、こんな名前では共通点が分からない。実は、1格は主格、2格は所有格、3格は与格、4格は対格である。一般言語学的に通用しない述語は好ましくない。〉*2
このブログでも基本的に数字を用いた格の呼称は使用しないことにする。

〈ドイツ語の統語的変化の「発展傾向」(Entwicklungstendenz)あるいは「ドリフト」(Drift)としてしばしば指摘されるものに、「総合的言語」(synthetische Sprache)から「分析的言語」(analytische Sprache)への変化がある。[…]具体的な現象としては[…]主語人称代名詞の義務化[…]などがある。〉*3 というわけで、今回は現代ドイツ語において欠かせない主語人称代名詞について。
ただし、ドイツ語のように、〈文には必ず文法上の主語が要求される[…]言語は、現在までに判明しているかぎりでは、フランス語、英語、ドイツ語、それ以外では、スイスで話されいているロマンシュ語オランダ語、そしてスカンディナビア語が挙げられるだけで、[…]言語の普遍性と類型論の見地からすれば、広大な世界言語の中の小さな一言語圏である〉*4

ich

〈ichとIとは同語源である。ドイツ語の中でもいっそう英語やオランダ語に近い北ドイツ方言では、今日でもichではなくikという形が用いられるが(オランダ語もik)、[…]初めはいわば「全国区」型であったikが、7,8世紀頃、南ドイツから勢力を持ちだしたichによってジリジリと圧迫され、今では標準語としてはichのみが唯一の公認形ということになってしまったのである。〉*5
このk>chの変化は第二次(古高ドイツ語)子音推移の一つである。〈第二次子音推移は南ドイツでは完全に浸透したが、北へ行くにつれて浸透の度合いは薄れ、最北部では一部散発的に見られるだけで、子音推移の影響はほとんどなかった。[…]ドイツ語の方言群は、子音推移に関与した中部および南部高地の「高地ドイツ語」と、これに関与することがほとんどなかった北部低地の「低地ドイツ語」に大別され[る。…]低地ドイツ語と高地ドイツ語の方言地域は、子音推移の広まりを示す等語線によって区分される。この等語線は、最も北上した子音推移語形ik/ichからik/ich線と呼ばれ、[…また、]「ユルディンゲン線」とも呼ばれる。〉*6
〈OE icは中部・南部方言ではOE期の間に口蓋化してiċ /itʃ/ となったが、北部ではMEになってもic, ikのまま残った。ME初期に北部・中部では子音の前で語末の-k, -chを落としたiが用いられ始め[…]、1400年以降は後続音が母音、子音を問わずこの形が支配的となった。[…iは]まず強勢を受ける位置で長母音化したものが次第に一般化し、その後/iː/>/ai/なる規則的な変化によって今日の発音となった。〉*7
この一人称主格を表す単語が〈i一文字となってからは、当時の小文字のiには点がなかったため、まぎらわしくないように長く延ばして書く習慣が生まれ、これが大文字使用につながった。〉*8〈当初は、大文字のI以外にもy(iと同じ音を表す)やj(iの下部を伸ばした文字)が一人称単数形として用いられることもあったが、最終的には大文字のIに落ち着いた。〉*9
また、〈近代小文字iは、大文字にない頭上の`dot'をもっている。この文字の古形(`dot'をもたない)ı […]は、字形があまりに簡単であって、`minim'(文字の上から下へ書き下ろす字画)の連続に接する場合には他の文字の一画と見誤られる恐れがある。そうした位置にあるıを個別化するために冠せられたのがこの符号[=dot]の起源である。〉*10 minimの紛らわしさについてはこちらの一連の記事が面白い(minim / hellog〜英語史ブログ)。今回のエントリに直接関係のある「#91. なぜ一人称単数代名詞 I は大文字で書くか」という記事もある。

*1:滝田佳奈子『本気で学ぶドイツ語』ベレ出版 2010, S. 36.

*2:角田太作『世界の言語と日本語 改訂版 言語類型論から見た日本語』くろしお出版 2009, S. 179.

*3:荻野蔵平、齋藤治之『歴史言語学とドイツ語史』同学社 2015, S. 90f.

*4:松本克己『世界言語への視座 歴史言語学と言語類型論』三省堂 2006, S. 255f.

*5:石川光庸『匙はウサギの耳なりき』研究社 1993, S. 26f.

*6:須澤通、井出万秀『ドイツ語史』郁文堂 2009, S. 65ff.

*7:寺澤芳雄編『英語語源辞典(縮刷版)』研究社 1999, S. 682. „I2

*8:小島義郎、岸曉、増田秀夫、高野嘉明 編『英語語義語源辞典』三省堂 2007, S. 549. „I“

*9:寺澤盾「第1章 古英語」片見彰夫ほか編『英語教師のための英語史』開拓社 2018, S. 22.

*10:田中美輝夫『英語アルファベット発達史』開文社叢書 1970, S. 196.