shaitan's blog

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第1章②-4【市民と奴隷】

奴隷

ポリスの住民を大まかに分けると、自由人の市民とこれに隷属する奴隷があり

p. 36.

アリストテレス政治学』に曰く〈完全な家は奴隷と自由人から出来ている。〉*1

奴隷は、人間でありながら人格を認められず、普通の財産と同じように売買の対象となり、市民と奴隷との身分差は大きかった。奴隷となったのは、借財の担保として自分の身体を売られ市民身分から転落した人、戦争捕虜、海外から輸入された異民族などで、とくに黒海西岸(現ブルガリア)から輸入される奴隷が多かった。

p. 36.

アテナイオス『食卓の賢人たち』には、テオポンポスの『歴史』17巻から〈キオス人は外国人を奴隷として各家で使った。しかも彼らを代金を払って買ったのである。〉*2という記述が引いてある。

奴隷制がもっとも発達したアテネでは、個人所有の奴隷が普通であった。その数は総人口の3分の1にものぼり、家内奴隷・農業奴隷として用いられたほか、手工業やラウレイオン銀山の採掘などにも多数従事させられた。

pp. 36f.

アテナイオスは更に〈クテシクレスの『時事録』によると、第117オリュンピア期(前310頃)にパレオンのデメトリオス(前4-3世紀)がアッティカの人口調査をして、その結果アテナイの人口は2万1000、居留外国人は1万、奴隷は40万だと分かった。〉*3とも伝えている。この40万という数は余りに多いように思われるが、橋場弦によれば〈アテナイの奴隷数を40万人と記したクテシクレス断片1のテクスト伝承には、従来の研究史の推定とは異なり、基本的に誤伝・誤写を認めるべきではない〉*4とのことである。
プルタルコスは〈鉱山事業というのは、そこで働く者のほとんどが買い取った罪人や蛮人奴隷であり、不衛生な狭い場所で自由を奪われ死んでゆくのだから、褒められることではない〉*5と書いており、銀山の採掘は過酷な労働であったらしいことが察せられる。

*1:アリストテレス政治学』山本光男[訳] 岩波文庫 1962, p. 37. (1253b)
〈οἰκία δὲ τέλειος ἐκ δούλων καὶ ἐλευθέρων.〉Perseus Digital Library: Aristotle, Politics, Book 1, section 1253b

*2:アテナイオス『食卓の賢人たち』柳沼重剛[編訳] 岩波文庫 1992, p. 174.

*3:アテナイオス op. cit., p. 179.

*4:橋場弦「古代ギリシアにおける紛争解決と公共圏の比較文化史的研究」文部科学省科学研究費補助金 基盤研究(C)研究成果報告書 2011. https://kaken.nii.ac.jp/en/grant/KAKENHI-PROJECT-20520636/

*5:プルタルコス「ニキアスとクラッススの比較」1. 1『英雄伝 4』城江良和[訳] 西洋古典叢書 京都大学出版会 2015, p. 261.