ヒッタイトの製鉄
東部アナトリア高原に定住したヒッタイト人 Hittites は、馬に引かせた戦車と鉄製の武器を用いた強力な軍事力で先住民族を征服した。
『詳説世界史研究』p. 19.
前12世紀初期には系統不明の「海の民」の襲来によって滅亡した。それとともにヒッタイトが独占していた製鉄技術は、オリエントの各地に広まっていった。
『詳説世界史研究』p. 19.
『研究』ではぼかして書いてあるが、この文章は、東京書籍の教科書にあるように〈ヒッタイトははじめて鉄器を使用し〉*1たかのように読める。しかし、そうではないらしく、実教出版の世界史Bの教科書のコラムには以下のように書かれている。
アナトリアでは鉄鉱石が入手しやすく、精錬用の木材も豊富で、すでに前20世紀ごろには鉄を生産する技術が存在していたことが最近の研究で明らかにされた。北方から侵入してきたヒッタイトは、この技術を軍事的に利用したが、製鉄方法を秘密にしていたために、ヒッタイトの滅亡後も、鉄は他の地域にはなかなか普及しなかった。またシュメール人が重い四輪戦車を使用していたのに対して、ヒッタイトは、6本のスポークを用いた二つの車輪で、2頭の馬がひく軽い戦車を駆使して支配領域をひろげたという。
ここまで単に鉄とだけ書いているが、ヒッタイト時代の層からは鋼が出土しており、鋼を作る技術があったと考えられる。製鉄技術は武器だけでなく、車軸受けに利用され戦車の操舵性を改良したり、農具として生産性を向上させたりといった面でもヒッタイトの興隆につながったとする推測もある。*3