shaitan's blog

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転売について

数の限られた商品に対し欲しがる人の方が多い場合、何を基準に分配するべきか。通常の商品は基本的に先着順であり、まれに抽選が行われる。また、オークションはより金を払える人を選抜するシステムと言える。法哲学者の登尾章は、神ならぬ人間にはどの選択方法が最も適切かなど知りえず、優劣はつけられないので転売に法的な規制をすべきではないとする。*1コミュニタリアンのM. J. サンデルも、分配における規範について、変わりうるし何が主流となるべきかも明らかではないとする*2。ただし、サンデルの方は、〈われわれが望むのは、何でも売り物にされる社会だろうか。〉*3と市場主義一辺倒を批判し、一概には決められないからこそ時間をかけて議論すべきだとして*4、市場の規制自体には賛成のようである*5
サンデルは市場を批判するが、リバタリアン森村進は、〈現実の人々がサンデルの言う「負荷ある自我」を持っていて、自己利益だけでなく道徳的考慮や他の人々の利益にも配慮するとしても[…]、人々のそれぞれ異なった意図や利益を調整するためには自由市場以上のものは考えにくい〉*6 と反論する。こういった市場観はハイエクのそれに近い*7ハイエクは〈市場というコスモスは、[…]別々な構成員全ての別々で公約数をもたない諸目的の多様性に貢献する。〉*8更に〈行為に際して自分の道徳的信念を指針にすることを彼らに許すべきであれば、めいめいの行為の様々な人々に与える集計的な効果が分配の正義についてのある理念に対応することを要求することは、道徳的にもできないことである。〉*9と主張する。つまり、サンデルの主張する「議論」の代わりに自由市場に任せるだけで同じ目的が(もしかしたらより効率的に)達成されるだけでなく、道徳的にも優れているというわけである。とはいえ、究極的には国家と市場のどちらを信頼できるかという問題であろう。
さて、当事者(ここではある小売店を考えよう)が自由に契約を結ぶことを考える。現代の日本においては定価拘束は禁じられている*10ので、需給の偏りが明らかであるにも関わらずどの小売店もメーカー希望小売価格で販売していることがあるのは不可解ではあるが、素人にはうかがい知れない理由が何かあるのであろう。ともあれ、適切な価格設定がなされてさえいれば、この小売店で買いたい人は全員買うことができる*11。これでも転売されるとすれば、この店で買えないという事情*12がある相手や、後になって欲しくなった(あるいは金ができた)相手に対してであろう。すくなくともこういった売買が広く非難されているわけではあるまい。もし店側が均衡価格をうまく推定できなければオークションにするという手もある。
ややトリッキーな策として、一定期間内に再販売を禁止する条件付きの売買契約を結ぶようにすれば、転売の「仕入れ」行為を詐欺に問えるのではないか*13、という話を見たことがある。あるいは、解除条件付売買契約として転売したら横領になるというのはどうか。いずれにせよ、仮に成り立つとしても実運用上どうなるのかはよく分からない。
よく批判される「転売屋のせいで買えない人がいる」というのは、その分だけ転売屋が在庫を抱えているということである。個人的な心情としては「ざまあみろ」*14なのだが、売り損なった人と買い損なった人が居るというこの状態はパレート劣位なので客観的には喜ばしくはない。ただ、このようなことが常態化していれば商売として継続性がないと思われる*15。実際には買い手がおり、そのような人々が「買う」という一種の投票行為によって賛意を示している以上は転売はなくならないのである。

*1:登尾章「ダフ屋を規制すべきか?」瀧川裕英[編]『問いかける法哲学法律文化社 2016, pp. 62f.
ただし、ここでの登尾の議論はあくまでも「法律や命令で禁止する」ことに関するものである。

*2:M. J. サンデル『それをお金で買いますか』鬼澤忍[訳] 早川書房 2012, p. 61.

*3:Ibid., p. 284.

*4:森村進法哲学はこんなに面白い』信山社 2020, p. 120.
(初出:id.マイケル・サンデル反自由市場コミュニタリアニズム」『 一橋法学』15(1) 3-17 (2016). https://doi.org/10.15057/27854

*5:サンデルは、ある行為が不道徳でなされるべきでないということと、それが公的に禁止されるべきだということの相違について一般的に関心を持っていないようであり、あまり明確にしていない(Id.法哲学はこんなに面白い』, p. 108.)

*6:Ibid., p. 115.

*7:ただし、市場の前提となっている人々の自由についてはハイエクはリバタニアリズムとは相容れない主張をしている。(登尾 章「大きな社会とその規範的構成」『法哲学年報』2010 162-175 (2011). https://doi.org/10.11205/jalp.2010.0_162

*8:F. A. ハイエクハイエク全集第9巻 法と立法と自由II』篠塚慎吾[訳] 春秋社 1987, pp. 151f.

*9:Ibid., p. 167. 原文(訳書)は全てに傍点(原書はイタリック)

*10:私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律第二条第九項第四号、同第十九条e-Gov 法令検索

*11:もっと安くないと買いたくないという人は他の店に行く自由がある。そもそも、価格に見合う価値を見出せないのであれば買わない方が合理的である。

*12:例:体が臭すぎて出禁になった、店が臭すぎて入りたくない

*13:この場合、購入時は販売する意図はなかったが後で気が変わったのだとすれば詐欺は成立しないと思われる。有名な「食い逃げが犯罪にならないケース」と同じであろう。

*14:リスク(ここでは在庫リスク)を取れなかった臆病者は、チャレンジャーが失敗すると喜ぶものなのである。

*15:新規に参入しては退場するというのが続いているのかもしれない。また、3個購入して2個を倍の値段で売りさばけば、1個残ったとしても利益がでる、といったビジネスモデルの可能性はある。