洗礼者ヨハネ
洗礼者ヨハネ John the Baptist があらわれ、民衆に終末の近いことを説教し、悔い改めを促して洗礼活動をおこなったが、ヘロデ一族を非難したためとらえられ、殺された。
p. 62
洗礼者ヨハネは〈「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言っ〉*1て〈罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。〉*2ここで、〈「罪の赦し」とは、当時のユダヤ教において公にはエルサレム神殿祭儀における祭司たちの仲介を通してのみ与えられたものである。このことを考えると、ヨハネのこの行動は、エルサレム神殿を向こうに回した、きわめて挑戦的な行為であることが分かる。〉*3
なお、ヨハネの非難はヘロデが兄弟の妻と結婚したことに対してのものである*4ので、「一族」という表現には違和感がある。
ナザレのイエス
ナザレに生まれたイエス Jesus(前7頃/前4頃~後30頃)はヨハネの影響を受けて
p. 62
マタイおよびルカ福音書*5はイエスの生誕地をベツレヘムとしているが、これは旧約聖書にある以下の預言を受けたものである。
エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。ミカ書5章1節(新共同訳)
ルカ福音書によれば、クィリニウスがシリアの総督のときに行った最初の戸口調査*6のためにベツレヘムへ行き、そこでイエスが生まれたことになっているが、この戸口調査は紀元後6年のことである*7。これはザカリアの妻エリザベトが洗礼者ヨハネを身ごもったのがヘロデの時代(前37-前4)であり、その半年後にマリアが身ごもっていること*8と矛盾する。また、出生後は律法通りに儀式を済ませてナザレへ帰った*9ことになっているが、これはエジプトへ避難した*10とするマタイ福音書とは相違している。マタイによる福音書にのみ見られるこの挿話も預言*11が成就したことにするため*12ということを考えると、このベツレヘムで出生したという記述も信頼できない。両福音書に見られる「幼年期物語」は、一世紀の原始キリスト教会の中で形成された、ユダヤ教の伝統にあるミドラシュの類型に属するものである。*13
また、「影響を受けて」とぼかしてあるが、マルコ福音書によればイエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受けた。マルコ福音書の執筆当時には洗礼者ヨハネの弟子たちのグループも活動しており*14、イエスの弟子たちにとって不利となる記述である。そのため、これは史実であると考えられる。*15
処刑と復活
タキトゥスは〈クリストゥスなる者は、ティベリウスの治世下に、元首属吏ポンティウス・ピーラートゥスによって処刑されていた。〉*16と伝えている。
その[=処刑の]後、弟子たちの間に間にイエスが復活し、その十字架上の死は人間の罪をあがなう行為であったとの信仰が生まれた。
p. 62
認知的不協和の提唱者で知られる L. フェスティンガーらは、〈布教活動が予言の失敗の結果として増大するという現象〉を報告しており、その理由について〈より多くの信奉者を集め、首尾よく支持者たちでまわりを固めることによって、信者は不協和があっても、それとうまく折り合っていける程度まで不協和を低減させる〉ためであるとする*17。ただし、最初期のキリスト教については「予言がはずれたか否か」については論争があるとして、この仮説に合致するかの判断を留保している。*18
新約聖書
これ[=『新約聖書』]はイエスの言行を記録した4つの『福音書』、ペテロやパウロがローマ世界に布教していく様子を記録した『使徒行伝』、パウロらが信徒に宛てた書簡、および黙示録からなり、2~4世紀にかけて現存のかたちに成立した。
p. 63
〈2世紀の終わりころになると、…多数の新しい教説がキリスト教の教会内部に生じたり、外部から教会を脅かすようになった。そして教会は、それらの教説と論争する中で、旧約聖書と並んで初代教会のどの書を権威あるものと見なすべきかを明確にしなければならない、と自覚するようになった。〉*19
〈アレクサンドリアの司教アタナシオスは、…367年…の手紙で…旧約と新約のどの書がエジプトの教会で読まれるべきかを確定した。明確な公会議の決議も必要とせずに、その決定は帝国東方のギリシア語を話す教会の中で広く受け入れられた。…ただし、ヨハネの黙示録の受け入れについては、10世紀に入ってもなお議論が続けられた。〉*20
西方では、アタナシオスが確定した〈『新約聖書』二十七書が正式に認められ…たのは、紀元393年ヒッポ公会議(北アフリカ)においてであり、それが公布されたのは397年のカルタゴ公会議においてである〉*21。
*1:マタ3:2
訳文、書名略号は新共同訳に準拠。以下注記なき場合は同様。
*2:マコ1:4, ルカ3:3
*3:佐藤研『聖書時代史 新約篇』岩波現代文庫 2003, pp. 38f
*4:マコ6:17-18
*5:マタ2:1、ルカ2:6-7
*6:ルカ2:2
*7:佐藤、op. cit., p. 36.
J. H. チャールズワース『これだけは知っておきたい史的イエス』中野実[訳] 教文館 2012 [原著2008], p. 198.
*8:ルカ1:5-42
*9:ルカ2:39
*10:マタ1:13-15
*11:〈まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。〉ホセ11:1
*12:〈イスラエルの出エジプトとイエスの体験を重ね合わせ、新しい民の形成を示唆する〉『聖書』(フランシスコ会聖書研究所[訳注] マタ1:13NB)という意味もあるとのこと。
*13:百瀬文晃『キリスト教の原点』教友社 2004, pp. 31f.
*15:百瀬 op. cit., p. 32.
チャールズワース op. cit., pp. 87f, 225-227.
*16:タキトゥス「年代記」国原吉之助訳『タキトゥス 世界古典文学全集 第22巻』筑摩書房 1965, p. 286(XV. 44)
*17:L. フェスティンガーほか『予言がはずれるとき』水野博介 勁草書房 1995, p. 37
*18:Ibid., pp. 30ff
*19:W. クライバー「新約聖書」S. ヘルマンほか『聖書ガイドブック 聖書全巻の成立と内容』泉治典ほか訳 教文館 2000, p. 221
*20:Ibid., p. 223
ここでいう〈読まれる〉は「朗読される」の意であろう。
*21:佐藤 op. cit., p. iv