twitterでは(少なくとも私のTLでは)日本語の「誤用」の例示をして憤ったり呆れたりしてみせるツイートがしばしば話題になる。こういう例を見たとき、自分が気にならないときは
誤用が定着した語、定着したのが昔ならどうでもよくなるし目くじら立てんでも、と思ったが、平家物語は文学でも現代の日本で内乱が起これば大騒ぎだろうし、昔は昔、今は今だな。
— しゃいたん (@faogr) 2016年7月9日
という風に他人事でいられるが、気に入らずに多少は不快になってしまうこともある。しかし、だからといってそれを「正誤」の基準にできないことはいうまでもない。
いわゆる「誤用」については、意味用法が変化しつつある現場に居合わせているという面白さは感じるのだけど、それ以上に拒否感が強い。これは自分はそう思ってしまうという意味であって、どちらが悪いとかではないです。
— しゃいたん (@faogr) 2023年3月25日
異分子を排除する方向に働く感情だろうから適応的(ただ、現代的にはあまりおおっぴらに表明できるものではない)だけど、客観的にはたまたま自分が慣れてる意味用法にそぐわないだけで「誤り」扱いするの身勝手にもほどがあるんだよな。中古日本語に範をとった国学者の方が筋が通っている。
— しゃいたん (@faogr) 2023年6月24日
単に使っているだけの人に難癖をつけるのは非常に難しい。
私の田舎ではそういう言い回しをします、それを「誤用」と断ずるのは差別です、みたいな方向で行くと勝てそうな気がしますね
— しゃいたん (@faogr) 2023年3月25日
それに対して、誤用であるという主張に対しては自身が基準を明確にしているからまだ突っ込みやすい。
好例として、「高嶺/根(の花)」がある。「嶺」が常用漢字表にないため新聞用語集では「高根の花」とすることになっており、多くの人が違和感を覚えるようである*1。私も昔はこの「誤用」を許せないと怒りを露わにした(ふりをした)ことがある*2。
意思疎通の障害を生む広範な言葉の乱れの浸透は,マスコミが援護しているどころか元凶ですらある.憶測だが,意欲や技量のある編集者の枯渇が根底にないか.かかる文化侵略は座視できない.断固糾弾し国語の衰退を阻止すべきだ.RT @tsumiyama http://bit.ly/b52Xgf
— しゃいたん (@faogr) 2010年6月24日
辞書にも「高根の花」に否定的な書きぶりなものがある*3。
「高根」は新聞で使う代用表記。「嶺(ね)」は「みね(御根)」の意で、「根(ね)」と本来同語源とされるところから「高根」とする。
『明鏡国語辞典第二版』(電子辞書版)「たかね【高嶺(高根)】」
ただ、正保版本『二十一代集』には「高根」が見られる*4など、必ずしも歴史のない表記ではない。『新訂大言海』*5でも、「高根」を〈普通用ノモノ〉*6として挙げており、「高嶺」は「峻嶺」とともに他の用字として載っている。
明鏡のような辞書の記述も誤解を招きうるので問題とはいえ、現在は主に新聞紙上という特定の領域でしか使われない(実際にそうなのかは分からないが)という立場で「新聞用語」扱いをするという態度は、現代語の辞典としてはむしろ正しいと言えよう。
〈「ことばの間違い」の指摘は[…]ことばの「間違い」を非科学的にあげつらって言語そのものの変化や実態を貶めることで、自らの教養を誇るという見苦しく歪んだ姿勢にすぎない。〉加藤重広「標準語からみる日本語の方言研究」呉人惠[編]『日本の危機言語』(2011:236)
— しゃいたん (@faogr) 2023年7月22日
*1:新聞が使う「高根の花」は「高嶺」の誤り? – 毎日ことばplus
*2:これはツイート内に使われている漢字の多くが「同音の漢字による書きかえ」などの基準により書き換えられたものになっている、というツッコミ待ちのネタである。なお、誰からも突っ込まれなかった。
*3:『新明解国語辞典』第7版(電子辞書版)、第8版(小型版)のいずれにも〈「高根」は借字〉とある。また、「高根/高嶺」は併記してあっても、連語としては「高嶺の花」のみしか書かれていないもの(広辞苑第7版(電子辞書版)、デジタル大辞泉(2016年4月の更新版に基づく電子辞書版)、大辞林第4版(ビッグローブ辞書アプリ版))も多い。逆に、『三省堂現代新国語辞典』第6版だと「高根の花」の方で立項されている。
*4:〈さ夜更て富士の高根にすむ月ハ煙はかりやくもるなるらん〉IIIF Curation Viewer
*6:Ibid. p. 8.