1秒未満の時間の長さのことをコンマ2秒とかって言うけど、日本では小数点はコンマではないのにそう呼ぶのは面白いな
— κねこせん (@necocen) 2023年12月16日
算用数字で小数を表記するとき、小数点には大きく二つの流儀がある。英米式ではピリオド*1、仏独式ではコンマを使う。現在の日本では書くときは英米式に"."であるが、読むときは(「てん」と読まないなら)仏独式に「コンマ」であり、表記と呼称が一致しない。明鏡国語辞典によれば、これは江戸末期、蘭学者が仏独式を採用しているオランダの習慣に倣って小数点に","を使ったことからとのことである*2。
句読点としての"," は『蘭学階梯』(1788)にも「コムマ」として載っている*3。小数点としての","は『洋算用法 初編』(1857)に出てくる*4。
〈此(この) ,ハ文章(ぶんしやう)の讀(よみきり)にて「コンマ」と名(なづ)くる者(もの)なり筭術家(さんじゆつか)にて之(これ)を名(なづ)けて「デシマール、ピュント」と云ふ[割注]十分標(じふぶんへう)と譯(やく)す〉とある。『洋算用法 初編』https://t.co/UfAmEe2ULO
— しゃいたん (@faogr) 2023年12月16日
ただし、整数部の三桁ごとの桁区切りにもこの「デシマールピュント」を使うとあり*5、現在の仏独式と一致しているわけではない。この記号","には「コンマ」とルビが入っており、読む必要がある場合には「コンマ」とも読まれたのだろう。しかし、小数点を含む数字を「零コンマ云々」と読んでいたかどうかは分からない。
,使ってても、区切り部分の読み方っぽいものとしては「個」だったりする(しかもその下は命数使ったり、分数だったりする)ので、この史料だけでは「コンマ」読みが発生してたとまでは言い切れない気がするな。
— しゃいたん (@faogr) 2023年12月17日
数字を読むときに「コンマ」を使う読み方は『西洋算法分数術』(1971)には載っている*6。
『西洋算法分数術』(1871)だと小数点は","で〈答曰零小数点㠯(以)下五之を零コンマ五と云〉(https://t.co/T6tuXQVdid)とあるが、そこ以外に出てこない。0,087532が〈一以下零八七五三二〉(コマ50)、36,74が〈三十六と小数七四〉(コマ52)、843,8927が〈八百四十三と万分の八九二七〉(コマ48)等。
— しゃいたん (@faogr) 2023年12月17日
古くに英米式を採用している著作としては『童蒙必携洋算訳語略解』(1972)がある。ただ、「小数符」ではピリオドを使うように書かれており、「同加法」「同減法」「同乗法」でもピリオドが使用されているものの、「小数除法」、「循環小数」、「菱形」の項に載っている除法の商はいずれも小数点にコンマを使用しており統一されていない。*7 また、『數學ニ用ヰル辭ノ英和對譯字書』(1889)では英和であるにも関わらず、Decimal Signの訳語は仏独式の「コムマ」となっている*8。残念なことに、この字書では小数点の記号としてどちらを想定していたかが分からない。『数学訳語集』(1903)では表記は英米式、呼称が仏独式という現在同様の現象がみられる。*9
『数学訳語集』(1903)[https://t.co/ChhjQqaaF0]だと〈[.]小数點,「コンマ」〉と書かれており、ピリオドなのにコンマと呼んでいるというのはこの頃からなんだな。
— しゃいたん (@faogr) 2023年12月16日
繰り返しになるが、数字を読むときにどう呼んでいたかどうかはまた別問題で、例えば『算術 (尋常師範学科講義録)』の例題では「3・5」を「三箇五分」と読ませている。*10 なお、この本では小数点はイギリス流に位置が高くなっている。
刊年不明ながら『算術 (尋常師範学科講義録)』https://t.co/qdi7j2J1LR には〈點ハ乘號ニモ用フルヿアレバ混數ニ於ケル小數點ハ乘號ニ紛レ易シ、故ニ小數點ハ高クシ、乘號ノ點ハ低クス〉とあり現在と逆なのが面白い。「小数」は1より小さい数のみを指してるようで、1より大きいと「混数」みたい。
— しゃいたん (@faogr) 2023年12月16日
『商業數學 (早稻田商業講義 ; 第6回)』(1913年製本)では、上と同様に小数点はピリオドを高い位置に打っているが、0・8を「零ポイント八」「奇零八」*11あるいは丁寧に「零小数点八」のように読むと書いてあり、「零コンマの八」のように言うのは改めるべしと厳しい*12。なお、『同 第9回』(1914年製本)には、独逸流なら小数点ではなく小数コンマなので0,8は「零コンマの八」である、という記述が追加されている*13。
ここまで手近な史料を色々とあさってみたのだが、これらだけでは断片的な情報に過ぎず、それぞれの書物の社会的な意味も考慮しないとストーリーを構築できない。素人考えでは師範学校の講義録が一番影響力が大きそうな気がするのだが、だとすると「コンマ」読みがここまで広まった理由が説明できず困ってしまう。結局のところよく分からないという、いつもの結論に落ち着いてしまうが、まあこれで良いことにする。
コンマなんて…コンマかいことカンマいはせん、という人もいるんですな……
— yas/やすちゃん🐇6🌼 (@yaschan__) 2023年12月17日
*1:〈イギリスではピリオドよりも位置が上の「中黒」に近い点を用いることがある〉『新明解国語辞典』第八版 三省堂 2020「小数点」
*2:『明鏡国語辞典』初版および第二版 大修館書店(電子辞書版)「コンマ」。
なお、他の国語辞典もいくつか比較してみた。広辞苑第六版[電子辞書版]ではオランダ語では小数点に","を使うからとしており、新明解国語辞典第七版および第八版では、明治期に小数点として","を用いるフランスの方式が入ったことによるとする。また、精選日国、大辞林4、デジタル大辞泉2、岩国8、三国7,8、三現新6では特に理由についての言及はなかった。新明解は明治期とする点がやや異なるが、そのあたりの時代にオランダで使われている仏独式の表記法が入ってきたものと考えてよさそうである。
*3:大槻磐水『蘭学階梯』巻下 1788, p. 22.
早稲田大学図書館 古典籍総合データベース > 蘭学階梯. 巻上,下 / 大槻茂質 撰 > 23
*4:柳川春三『洋算用法 初編』 1857.
早稲田大学図書館 古典籍総合データベース > 洋算用法. 初編 / 柳河春三 述 > 10, 11
*5:Ibid. > 12
ちょうど4桁(千以上一万未満)の場合は千位と百位の間にコンマを入れないという規則がある。また、当然だが小数部は桁が多くなってもコンマを入れない。
*6:西洋算法分数術 - 国立国会図書館デジタルコレクション
*7:童蒙必携洋算訳語略解 - 国立国会図書館デジタルコレクション
*8:数学用語英和対訳字書 = Vocabulary of mathematical terms in English and Japanese - 国立国会図書館デジタルコレクション
*10:算術 - 国立国会図書館デジタルコレクション
刊年不明だが、尋常師範学校は師範学校令(師範学校令(明治十九年四月十日勅令第十三号):文部科学省)と師範教育令(師範教育令(明治三十年十月九日勅令第三百四十六号):文部科学省)の間の期間しか存在しないため、1886-1897頃のものと思われる。
*11:「奇零」とは「単位以下の数」の意 (奇零・畸零(きれい)とは? 意味や使い方 - コトバンク)「奇」は「畸」に通じ、「はんぱな数」の意。(藤堂ほか[編]『学研新漢和大辞典』(2005)「奇」)
*12:商業數學 - 国立国会図書館デジタルコレクション
製本年は本扉に押印されている。また、コマ番号150に大正元年の為替相場表が載っているため、1912年以降に印刷されたことは疑いない。