shaitan's blog

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人間になりたい

かつてあなたがたは猿であった。だが、いまもなお人間は、いかなる猿より以上に猿である。

ツァラトゥストラ』第一部「超人と「おしまいの人間」たち」*1

人に生まれたというだけでは人間にはなれない。ボーヴォワール風に言えば «On ne naît pas homme : on le devient»*2 というわけである。
猿から人間になるために必要なものとは何か。スローターダイク『「人間園」の規則』にある〈非人文的=非人間的な=人でなしの人間(homo inhumanus)〉*3という駄洒落を信じるならば、その「何か」こそ人文学である。駄洒落と言ってしまったが、むしろこれは語に内在する多義性を表出させたものと考える方がよさそうである*4。英語だとhumanityは「人類」「人間性」「人情」といった意味であるが、humanitiesと複数形にすると「人文学」となる*5
これらの起源である humanitas はギリシア語のパイデイアやピラントロピーの訳語としてキケロが造語したといわれている*6。ローマ白銀期の著作家ゲッリウスは、フマニタスは一般に言われている φιλανθρωπία という意味ではなく正しくは παιδείαν の意で、我々の言うところの “eruditionem institutionemque in bonas artes” であるというような意味のことを書いており*7、この語は上述のような多義を獲得していったようである。
ここでいわれている学術は人文学には限られない。キケロは「最も自由人にふさわしいさまざまな学術」として文学だけでなく、数学や音楽なども挙げており*8、それらを「自由学科」 doctrina liberalis と名付けている*9*10。これらは科目としてはヘレニズム時代後半の中等教育の学科に相当する。このうち三学 trivium は現在の人文学と内容的につながりがあり*11、四科 quadrivium は「音楽」「幾何学」「算術」「天文学」からなる。*12 さらに遡れば、これらの中等教育を施した学校であるギュムナシオンのカリキュラムの中心は体育であった*13。こうしてみると、人が人間となるにあたり要求される教育というものも時代によりさまざまであり、字面に引きずられて人文学を称揚するのは短慮であるといえよう*14

*1:ニーチェツァラトゥストラはこう言った』氷上英廣[訳] 岩波文庫 1967, p. 15.

*2:「人は人間に生まれない、人間になるのだ」。言わずと知れた Le Deuxième Sexe 冒頭の捩りであるが、これは(私も含め)誰でも言いたくなるフレーズらしく、検索すると大量に出てくる(2023.12.14時点で約1万件)。 "On ne naît pas homme : on le devient" - Google 検索

*3:P. スローターダイク『「人間園」の規則』仲正昌樹[編訳] 御茶の水書房 2000, p. 36.
円形劇場で残忍な見世物に熱狂するローマ人を指したものである。

*4:二つの語が同じであるかどうかというのは機械的に判断できるものではない。例えば、ボールペンも孫の手も「かくもの」ではあるが、ここで「書く」と「掻く」は同語源であるとされるとはいえこれを多義語であると考える人はあまりいないであろう。

*5:inhumanity「不人情」「残酷さ」を複数形にしても「非人道的行為」という意味にしかならないので間違えないようにしたい。

*6:ただし、キケロのいう humanitas は実はどちらとも意味が異なり、訳語とはいえないらしい(高畑時子「キケローのフーマーニタース」 Studia humana et naturalia 38 2004, pp. 83f, 84n. 京都府立医科大学リポジトリ 橘井
この論文中には〈初出は、Pro Sex. Roscio, 84 B. C.〉(p. 84)とあるが、これは「80 B. C.」の誤りか。87頁の表では、Pro S. Roscio Amerino の執筆年は80 B. C. となっている。また、表には載っていないが、それより前の弁論である Pro Quinctio (81 B. C.) でも humanitas という語は見られるようだ(Perseus Digital Library: M. Tullius Cicero, For Publius Quinctius, chapter 16)。

*7:Perseus Digital Library: Aulus Gellius, Attic Nights, Liber Tertius Decimus, XVII

*8:キケロ「弁論家について」大西英文[訳]『キケロー選集7』岩波書店 1999, p. 8.(De or. I. 10f)

*9:Perseus Digital Library: M. Tullius Cicero, De Oratore, LIBER TERTIVS, section 127 に liberales doctrinae とある。

*10:松尾大「キケロ上智大学中世思想研究所[編]『教育思想史第I巻 ギリシア・ローマの教育思想』東洋館出版社 1984, p. 293.

*11:安酸敏眞『人文学概論』増補改訂版 知泉書館 2020, p. 63.

*12:川島清吉「ヘレニズムの思想と教育」上智大学中世研究所[編] op. cit., pp. 279-282.
音楽ではアリストクセノスの数学的音楽理論が用いられ、幾何学ではエウクレイデスの『原論』、天文学ではストア派のロードスのゲノミスによる『天文学入門』が教科書として使われた。このことから少なくとも幾何学天文学に関しては現代の我々が科目名から連想するものとあまり違わない内容であったと考えられる。

*13:Ibid, pp. 277f.

*14:未来の読者へ:ここは時事ネタ(賞味期限を大幅に過ぎているが)なので意味が分からなければお気になさらないでください。