shaitan's blog

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第1章②-12【ギリシアの生活と文化】

ホメロス

ホメロス Homeros(前8世紀)はトロイア戦争の顛末を『イリアス』『オデュッセイア』の長大な2編の詩に歌い、

『詳説世界史研究』p. 45

トロイア戦争にまつわる伝説は、『イリアス』『オデュッセイア』の二長篇を含め、全部で八篇の叙事詩によって一通り語り尽されていたという。いわゆる「叙事詩の環(epikos kyklos)」と呼ばれるのがそれである。〉*1そのうち、現存するのはホメロスの名の下に伝わる二大叙事詩イリアス』と『オデュッセイア』である。この二篇の叙事詩だけでは「トロイア戦争の顛末」は歌われたとは言えない。アリストテレスが指摘するように、〈彼[=ホメロス]はトロイア戦争を[…]その全体をそっくりそのまま詩につくるようなことは、けっして試みなかった〉*2のであり、〈一方[=イリアス]はギリシア人とトロイア人の間に起こった十年戦争の中の数日を扱い*3、他方[=オデュッセイア]はオデュッセウス[…]の帰国をめぐる労苦を扱*4*5うだけである。
しかしながら、『イリアス』は〈トロイア戦争の全容を、「アキレウスの怒り」をめぐるひとつのエピソードの背景に浮かび上がらせて〉*6おり、〈ある意味でトロイア戦争の全貌を描いているとも言える〉*7。例えば、ヘレネーがプリアモスに寄せ手の将の名前を教えるくだり(II. 162-244)など、開戦から十年目と考えるには不自然な場面が出てくるが、これは〈トロイア戦争の全容を『イーリアス』のなかに構造化する工夫の一つ〉*8である。〈叙事詩的時間は、いわば伸縮自在のものとして流れていたというべき〉*9であって、〈『イーリアス』の世界に、われわれの現実の時間感覚をそのまま押しつけること〉*10はこの作品の鑑賞態度としてはあまり褒められたものではないのかもしれない。
ホメロスは、詩の技法においても、伝説の内容においても、大きく伝統に依存していた。*11しかし『イリアス』には、アキレウスの内面を核とする内的統一性があり、その限りにおいて、おそらく『イリアス』は一人の独創的な詩人の作だと推論される〉*12。また、『オデュッセイア』も〈いくつかの物語を単純に継ぎ足して並べたものでは決してなく、ひとりの詩人の確固とした企画に基づいて構成されている。〉*13このような意味において、偉大なる詩人ホメロスは確かに実在したのだと言って良いのだろう*14

ヘシオドス

農民詩人ヘシオドス Hesiodos(前700頃)は、『労働と日々』で貴族の専横を批判し労働の大切さを説き、

『詳説世界史研究』p. 45

『労働と日々』は一貫した詩ではなく、様々な卑近な事柄に関する知識教訓に個人的な激しい感情と経験との混じったものである。*15 この詩は、怠惰で性悪な弟ペルセースに対する訓戒として作られたことになっている。*16 この弟は父の遺産(土地)をめぐってのヘシオドスとの裁判で賄賂を用い不当な配分をせしめる。そこでヘシオドスは正義の何たるかを説き、勤労の必然性と尊さを教えるのである。*17。裁判で賄賂を取り正義を捻じ曲げることは非難されているものの、「貴族の専横を批判し」ているとまで言えないのではなかろうか。

ギリシア神話

ギリシア神話として伝えられるものの大部分は、この2人[=ホメロスとヘシオドス]の叙事詩が源流になっている。

『詳説世界史研究』p. 45

現代まで伝わる作品の中では『イリアス』は最古であるが、散逸した作品も含めればそれ以前より神話伝説を歌った多くの短い叙事詩や物語があった。ホメロスの作中においてもカリュドーンの猪狩り*18やアルゴーの遠征*19 の話が見られる。*20
そもそも、神々の名(Athene, Hephaistos, Apollon, Artemis等)からしギリシア先住民族からの借用語と考えられ*21ホメロスとヘシオドスの叙事詩が源流と呼ばれるに相応しいかはよくわからない。ヘロドトスは、神の系譜をたて、神々の称号を定め、権能を配分したのはヘシオドスとホメロスであり、彼らより古いと言われている詩人たちも後代の人々であるとしている*22 が、これをそのまま信じるわけにはいくまい。ともあれ、この2人の時代(BCE 8世紀頃)までには、オリュンポス一家の組織やその勢力範囲がほぼ固まり決定されたと考えられている*23

イオニア自然哲学

学問の面では、議論と論理を重視するギリシア人の気風が、自然現象を神話ではなく合理的根拠で説明する科学的態度にあらわれた。まず前6世紀にはイオニアのミレトスを中心に、自然の本質と根源を解明しようとするイオニア自然哲学が発達した。万物の根源を水と考えたタレス Thales(前624頃~前546頃)はイオニア学派の祖とされ、「哲学の父」とよばれる。

『詳説世界史研究』p. 45

リュディアやペルシアの興隆に伴って前6世紀のイオニアで人々の往来が増大し、文化の接触・交流が盛んとなったことが、このような思想が発達した背景であると考えられている。*24 『研究』には「ギリシア人の気風」とあるが、なぜそういう気風があると言えるのかはよく分からない。
これらの思想が「合理的」「科学的」といわれても、現代的な感覚では神話と大差ないように思える。

まず原初にカオスが生じた さてつぎに
胸幅広い大地ガイア

ヘシオドス『神統記』ll. 116f.*25

ヘシオドスはこのように世界の生成を語り始め、自然の根源を詩にしている*26。田中美知太郎はヘシオドスとタレスの思想の間に明確な区別をつけるのは難しいとしながらも*27タレスには仲間や弟子があり、思想の発展を辿ることができるからこそギリシア思想史の劈頭を飾るに相応しいとしている。*28
[2022.6.13 追記]
また、科学史家のデイクステルホイスはタレスを自然科学の源流と見なすかどうかについて類似の議論をしている。神話的要素が排除されているがコントのいうところの人間精神の発達段階の第三段階には到達していないとしながらも、近代科学はタレスおよび同時代の同類の人々の思索から連続して発展してきたものであり、タレスをもって科学の歴史の始まりとするのは正当であるとする。*29


タレスは、あの知恵の愛求〔哲学〕の始祖であるが、「水」ヒドールがそれ[=質料ヒレの意味での原理アルケー]であると言っている

アリストテレス形而上学』983b20 *30

タレスが〈イオニア学派の祖とされ、「哲学の父」とよばれる〉のは主としてこのアリストテレスの記述によるものである。ただし、タレス自身が「哲学」研究をしたというわけではない。アリストテレスタレスを含むイオニア学徒のことを「自然学者」と呼んでおり、「哲学者」とは呼んでいない。*31

タレス

名前 生没年 特徴
タレス 前624頃~前546頃 万物の根源は水。日食を予言。

『詳説世界史研究』p. 46 「ギリシアの自然哲学者」

ある合戦の折、戦いさなかに突然真昼から夜になってしまったのである。この時の日の転換は、ミレトスのタレスが、現にその転換の起こった年まで正確に挙げてイオニアの人々に予言していたことであった。

ヘロドトス『歴史』I. 74.*32

この日食は前585年のこととされている。ボイヤーによれば、ターレスは当時の天文学の先進地バビロンへ旅行できる地位にあったとはいえ、バビロンにそのような予言ができるような日蝕表があったとは考えられず、この伝説は大いに疑わしいとのことである。*33

ピタゴラス

ピタゴラスの定理」を発見したピタゴラス Pythagoras(前6世紀)は

『詳説世界史研究』p. 46.

いわゆるピタゴラスの定理バビロニア人のものである可能性が強いが、この名前で呼ぶことを正当化する理由はピタゴラス学派がはじめて証明したからだと言われている。ただ、ピタゴラスがこの定理の発見ないし証明で牛を生贄にしたという伝説があるが、学派は菜食主義であったため信じがたい。*34 なお、現在のギリシア数学史研究によれば、ピタゴラス学派が数学的諸学へ貢献したことは否定できないにせよ、それらはより後の時期のものであり、ピタゴラス自身については「科学者」「数学者」といったイメージはもはや通用しないという。*35

ヘロドトス

ヘロドトス Herodotos(前484頃~前425頃)はイオニア学派の影響を受け、過去のできごとを神話によってではなく事実の批判的探究によって説明するという歴史研究の方法を創始し、「歴史の父」とよばれる。彼が著した『歴史』は、ペルシア戦争の原因を探求すると同時に、ギリシア人とその周辺諸民族の風俗と伝承を広い見聞に基づいて記述した歴史書である。

『詳説世界史研究』p. 47

ここで「歴史書である」とされ、一般に『歴史』という書名で呼ばれているこの作品には、当然「歴史」が書かれているのだろうと思われがちであるが、これについて少し考えてみたい。まず、そもそも当時は作品に書名を冠するという慣習は無かった*36し、ある土地の風俗などの地誌は歴史の記述であるとは言いにくい。

本書はハリカルナッソス出身のヘロドトスが、人間界の出来事が時の移ろうとともに忘れ去られ、ギリシア人や異邦人バルバロイの果した偉大な驚嘆すべき事蹟の数々――とりわけて両者がいかなる原因から戦いを交えるに至ったかの事情――も、やがて世の人に知られなくなるのを恐れて、自ら研究調査したところを書き述べたものである。

ヘロドトス『歴史』(I. 序)*37

上に引いた『歴史』の序文で「研究調査」と訳されている語こそが ἱστορίᾱ である*38。この語のヘロドトスの他の用例も類似の意味であり、〈わたしたちが考えるような意味で「歴史を書く」という自覚は、彼[=ヘロドトス]にはまだなかった。彼の意識としては、「歴史」を語ったのではなく、「みずから研究調査したところ」を語ったのである。〉*39

歴史家と創作家(詩人)との違いは、語るに韻律をもってするか否かという点にあるのではない。ヘロドトスの文章は、これを韻文に直すこともできるであろうが、それが歴史であることは、韻律の有無にかかわらず、すこしも変るところがないのである。[…]歴史家は実際に起った出来事を語るのに対して、創作家(詩人)は起るであろう出来事を語る[…]創作(詩作)が語るのはむしろ普遍的なことがらであり、他方、歴史が語るのは個別的なことがら[である]。

アリストテレス詩学』1451b *40

アリストテレスヘロドトスを引き合いに出して、詩作と歴史の違いを論じている。藤縄謙三はこのくだりを引いて〈「ヒストリア」という語が歴史を意味し、「ヒストリコス」が歴史家という意味で、ここに登場している。これは、今日まで伝わるギリシア古典の中では最古の用例である。〉*41と主張している。とはいえ、ここで引用されたアリストテレスの「歴史」を「研究」に代えても意味は通るように思えるし*42アリストテレス自身も著作の表題『動物誌(Τῶν περὶ τὰ ζῷα ἱστοριῶν)』のように、明らかに「歴史」ではない意味で使っていることが多い*43。ただし、柳沼重剛が指摘する通り、ヘロドトスが「人間界の出来事」のヒストリアとわざわざ書いているのに対し、アリストテレスのこの用例ではヒストリアは「実際に起った出来事を語る」が含意されており、さらに少し後で

歴史においては、説明の対象となることがらに関して必然的に要求されるのは、行為の統一性ではなくして、時間の統一性である。そこでは、同じ時間の範囲内に起った出来事であるかぎり、一人の人間の身の上のことにせよ多数の人間のことにせよ、すべて無差別に記述され、それらの出来事の一つ一つのあいだには偶然的な関係しか存在しない。
[太字は原文では圏点]

アリストテレス詩学』1459a *44

のように「時」に即して扱うものであるという認識もされている。そうであれば『詩学』では「歴史」という意味で使われたと言ってよいのであろう。*45
なお、「歴史」と「創作」の対比はキケロも行っており、次の文章がヘロドトスを「歴史の父 (pater historiae*46 )」と呼んだ最古の例である。

歴史と文学作品とでは別の法則が守られねばならぬ[…]歴史においてはすべてが真実に帰し、文学作品においてはたいていのことが楽しみに帰するからだ。もっとも、歴史の父といわれるヘロドトスにしても[…]無数の作り話でうずめられている。

キケロ『法律について』1. 5 *47

ヘロドトスは神話や伝承を多数伝えており、これらは確かに現代的な感覚からすれば「作り話」である。しかし、20世紀になってからは学際的な手法による歴史研究の手掛かりの宝庫として再評価されているという。*48

トゥキディデス

トゥキディデス Thukydides(前460頃~前400頃)は、科学的・客観的な手法でペロポネソス戦争の経緯を『戦史』に叙述し

『詳説世界史研究』p. 47

『戦史』の中でも客観性を感じさせるのはトゥキディデス自身が登場する場面であろう。著者としては一人称を使っている(V. 26)が、将軍としては三人称で記述されている(IV. 104-105)。
『戦史』では〈戦争の経過について語った「叙述」の部分にくわえて、戦争を動かした人物が自分の判断や考えについて論じた「演説」を節目節目においており、これは、多くの史書とはちがった大きな特徴となっている。〉*49〈そうした「演説」の部分は、量的にみて史書全体の五分の一強を占め〉*50ている。「演説」については、トゥキディデス自身が述べているように〈事実表明された政見の全体としての主旨を、できうるかぎり忠実に、筆者の眼でたどりながら、各々の発言者がその場で直面した事態について、もっとも適切と判断して述べたにちがいない、と思われる論旨をもってその政見を綴った〉*51 ものであるし、「叙述」についても〈情報の出所をほとんど示すことなく論述を進めていく。〉*52
大戸千之は、現代的には〈歴史研究の立場からいえば、事実を述べる場合も推測や想像をもち込もうとする場合も、かならずその根拠を提示して、説明がどこまで妥当とされるべきか、批判と判定を他人に委ねなければならない。〉*53 としながらも、〈収集した情報の正確さに留意しながら、叙述にあたっては大きな構想のもとで歴史の動きを描こうとし、そうすることによって人間の真実に迫ろうとした点にこそ、トゥキュディデスの歴史学の本領があったと考えられる。〉*54 と評価している。
トゥキュディデスの作品は同時代史であるが、過去の歴史を叙述している部分が含まれている。そこでは、「伝説によって知られる限りは」(hon akoe ismen)というヘロドトスが用いた表現が使用されている。*55 また、そのうちの一つであるペロポネソス戦争前史は、ヘロドトスの著作末尾のセストス攻略(ヘロドトス IX. 114ff.)に関する記述から始まる。*56 このように、ヘロドトスを意識していると思わざるをえない箇所が散見されるものの、作中にはヘロドトスの名前もヒストリエーという語も見当たらない。「ヒストリエー」に代わり、類似の語として「ゼーテーシス」が使われている。*57 これらのことから、桜井万里子は〈トゥキュディデスは偉大な先輩の著作を熟読し、それを批判的に継承し、新しい領域の開拓へとさらに歩み出したというべきだろう。〉*58 としている。

*1:松平千秋「解説」ホメロスオデュッセイア(上)』岩波文庫 1994, p. 373

*2:アリストテレス詩学」藤沢令夫訳『アリストテレス 世界古典文学全集 第16巻』田中美知太郎ほか訳 筑摩書房 1966, p. 46(1459a)

*3:土井晩翠『「イーリアス」例言』(青空文庫)によれば50日であるが、実質的には10日ほどである。

*4:戦地に居た者の話(IV. 235-290)や詩人の歌(VIII. 487-520)、死者との語らい(XI. 505-562)という形でトロイア戦争中のエピソードに触れられてはいる。

*5:M. I. フィンリー『オデュッセウスの世界』下田立行岩波文庫 1994, p. 14

*6:川島重成『『イーリアスギリシア英雄叙事詩の世界』岩波書店 2014, p. 25

*7:Loc. cit.

*8:Ibid., p. 33

*9:Ibid., p. 137

*10:Loc. cit.

*11:cf. 第1章②-3【ポリスの成立と発展】 - shaitan's blog 「文字とホメロス

*12:藤縄謙三『ホメロスの世界』新潮選書 1996, p. 60

*13:逸身喜一郎『ギリシャ・ラテン文学 韻文の系譜をたどる15章』研究社 2018, p. 74

*14:イリアス』と『オデュッセイア』の作者が同一人物でないと考えるときに、二人をどういう名で呼ぶかという問題が残る。これについて逸身は〈二つの作品に別個の作者を想定したとき、ホメーロスというかけがえのない名前は『イーリアス』と切り離せない。とすればさしづめ『オデュッセイア』には「『オデュッセイア』の詩人」という名しか、与えられないことになる。〉(逸身 op. cit., p. 77)としている。

*15:高津春繁『古代ギリシア文学史』岩波全書セレクション 2008 [岩波全書 1952], p. 52.

*16:松平千秋「解説」ヘシオドス『仕事と日』松平千秋[訳] 岩波文庫 1986, p. 183.

*17:Ibid, p. 180.

*18:Il. 9. 529-599.
松平千秋によれば、この下りは当時の聴衆にはよく知られていた昔話であり、簡略化して述べられているとのことである。(ホメロスイリアス』(上) 松平千秋[訳] 岩波文庫 1992, p. 290n.)

*19:Od. 12. 70-72.
〈『オデュッセイア』にはさまざまな古伝、民話などの物語あるいはモティーフが組み込まれているに違いないが、アルゴ船伝説に負うところも少なくないようである。〉(ホメロスオデュッセイア』(下)松平千秋[訳] 岩波文庫 1994, p. 313n.)

*20:高津 op. cit., pp. 24, 46.

*21:Ibid., pp. 19f.

*22:Herod. II. 53

*23:呉茂一『ギリシア神話』新潮社 1969, pp. 5f.

*24:大戸千之『歴史と事実』京都大学学術出版会 2012, pp. 39-42.

*25:ヘシオドス『神統記』廣川洋一[訳] 岩波文庫 1984, pp. 21f.

*26:アリストテレスは、ヘシオドスは目的因かつ始動因を探究した最古の人ではないかと言っており、タレスのように質料因を求めたとは言っていない。(アリストテレス形而上学』984b20)しかし、オケアノスとテティスを万物生成の父母であるとした人々(例えば ホメロスイリアス』XIV. 201, 246)もタレスと同様に水を原理としたと括っており、それが許されるのであればヘシオドスも質料因について何か語っていると見なしてもよかろう。

*27:ヘシオドスでは擬人化されているとか、超越的な存在であるとか、現在ではなく過去が語られているといった点が異なると言っても、いずれも決定的な区別とはならない、としている。(田中美知太郎「ミュートス」『田中美知太郎全集 第7巻』筑摩書房 1969, pp. 154-158.)

*28:田中美知太郎『古代哲学史講談社学術文庫 2020 [1985],pp. 17-21.

*29:R. J. フォーブス・E. J. デイクステルホイス『科学と技術の歴史』新装版 広重徹ほか[訳] みすず書房 1977, pp. 26-28. [R. J. Forbes and J. E. Dijksterhuis, A History of Science and Technology, 1963]

*30:アリストテレス形而上学』(上)出隆[訳] 岩波文庫 1959, pp. 32f.

*31:Ibid., p. 32n.

*32:ヘロドトス「歴史」松平千秋訳 『世界古典文学全集第10巻 ヘロドトス筑摩書房 1967, p. 27.

*33:ボイヤー『数学の歴史1』(新装版) 加賀美鐡雄・浦野由有[訳] 朝倉書店 2008 [原著1968], pp. 63f.
タレスの生没年はこの日蝕のときに40歳くらいであったとして推定されたものであるので、こちらも同様に疑わしい。(Ibid., p. 64.)

*34:Ibid., p.69.

*35:中村滋・室井和男『数学史――数学5000年の歩み』共立出版 2004, p. 113.

*36:桜井万里子『ヘロドトスとトゥキュディデス 歴史学の始まり』山川出版社 2006, pp. 19ff.

*37:ヘロドトス op. cit., p. 5

*38:Perseus Digital Library: Herodotus, The Histories, book 1, chapter 1, section 0
原文は ἱστορίης であり、これは ἱστορίᾱ の単数属格イオーニア方言形。アッティカ方言だと ἱστορίᾱς となる。ᾱ が η となるのはイオーニア方言をアッティカ方言と対立させる特徴の一つである(高津春繁『ギリシア語文法』岩波書店 1960, p. 10(§8))。

*39:大戸 op. cit., p. 57

*40:アリストテレス詩学」藤沢令夫訳 『世界古典文学全集第16巻 アリストテレス筑摩書房 1966, p. 20.

*41:藤縄謙三『歴史学の起源 ギリシア人と歴史』力富書房 1983, p. 58.

*42:詩学』藤沢訳ではこの少し後に「歴史的な出来事を作品化する」とか「実際に起った歴史上の出来事」といった言い回しが出てくるのだが、原文(Perseus Digital Library: Aristotle, Poetics, section 1451b)ではそれらには ἱστορίᾱ は使われていない。

*43:柳沼重剛『トゥキュディデスの文体の研究』岩波書店 2000, pp. 208-210.

*44:アリストテレス op. cit., p. 46.

*45:柳沼 op. cit., pp. 204-207.

*46:Perseus Digital Library: M. Tullius Cicero, De Legibus, Liber Primus, section 5
原文では対格形 patrem historiae

*47:キケロ「法律について」中村善也訳『世界の名著13 キケロ エピクテトス マルクス・アウレリウス中央公論社 1968, p. 127(1.5)

*48:桜井 op. cit, pp. 49f.

*49:大戸 op. cit., p. 92

*50:Ibid., p. 126

*51:トゥーキュディデース『戦史』(上)久保正彰訳 岩波文庫 1966, p. 74 (I. 22)

*52:大戸 op. cit., p. 98

*53:Ibid., p. 138

*54:Ibid., p. 143

*55:桜井万里子『ヘロドトスとトゥキュディデス 歴史学の始まり』山川出版社 2006, p. 111.

*56:Ibid., pp. 112f.

*57:ibid, pp. 28f.

*58:Ibid., p. 114.