shaitan's blog

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第1章③-11【ローマの生活と文化】

ローマ字

ギリシア文字からつくられたローマ字は

『詳説世界史研究』p. 64.

ローマ字は原始エトルリア文字を通してギリシア文字を取り入れた。そのためは有声・無声の区別なく/k/, /g/に使われていた*1が、後に〈C〉に線を加えた〈G〉を有声音/g/の表記として用いるようになった。*2 また、古拙期のラテン語において、〈C〉, 〈K〉, 〈Q〉が前硬口蓋音、軟口蓋音、後硬口蓋音の/k/を表しており、それぞれ〈E〉と〈I〉、〈A〉と子音字、〈U〉と〈O〉が後続したのもエトルリア語の初期の体系から受け継いだものである。*3

土木技術

ローマ人は早くからエトルリア人を通じて先進的なギリシア文化の影響を受け[…]ギリシアから学んだ知識を帝国支配に応用する点においては、優れた能力をみせた。
[…]
ローマの実用的文化が典型的にあらわれるのは、土木・建築技術である。

『詳説世界史研究』p. 64.

ローマ人の使っていたセメントの発明とその建築・土木技術への応用は、ローマ人に帰せられる唯一の大発見で、*4 ローマ時代以降は18世紀までセメントの知識の進歩が見られないほどである。*5 ローマ人は実際に、消石灰から作られあまり硬さがなく、また防水性もなかった気泡モルタルに火山性土を付加することによって、それまでとはまったく異なったいくつかの特性をもつ驚異的なコンクリートを作り出したのである。すなわち、それは水を通さず、水を加えると固まり、1100N/平方センチメートルの強度を持つという特性を有していたのであった。この建設材料の登場により、帝政時代のおよそ紀元前27年から、まさしく土木建築の新しい時代が開かれたのである。*6*7

自然のままで驚くべき効果を生ずる一種の粉末がある。[…]これと石灰および割り石との混合物は、他の建築工事に強さをもたらすだけでなく、突堤を海中に築く場合にも水中で固まる。

ウィトルーウィウス『建築書』第二書 第六章 第一節 *8

この粉末とはヴェスヴィオ山の火山灰で、ナポリ近くのポッツオリ(Pozzoli)で産出するものが広く用いられたためポゾラナ(pozzolana)と呼ばれている。*9主な成分は\mathrm{SiO_2}\mathrm{Al_2O_3}であり、それぞれ約5割、約2割を占める。現在ではポゾランとは常温の湿分存在下でセメントの硬化に際し、生成遊離する\mathrm{Ca(OH)_2}と化合して水に難溶で硬化強度を出す石灰珪酸塩水和物を形成する材料のことを指す。*10

『研究』には〈哲学や文学、美術などの高度な精神文化ではギリシアの模倣に終わり、独創的な文化をつくることはできなかった。〉(p. 64)と書いてある。メソポタミアの宗教や文化の「原理的な考察」でも気になって言及したのだが、執筆者(これらが同一人物によるものかどうかは不明ではあるが)はどうも実用的な文化を下に見ているきらいがあるように思える。しかし、『水道書』で知られるフロンティヌスは実用的文化を誇りに思っていたらしく、次のような言葉を残している。

このように、大量の送水のために不可欠にならぶ構造物の行列を、もしお望みならば、無用のピラミッドや、有名ではあるが無益なギリシャ人の労作と比較していただきたい!

フロンティヌス『水道書』第16節 *11

サイフォン

サイフォンの原理を用いて周辺の丘陵地帯から都市に水を引く長大な水道橋も各地につくられた。フランスのガール水道橋、スペインのセゴビアの水道橋が有名である。

『詳説世界史研究』p. 65.

この記述はおかしい。長大な水道橋は緩勾配により重力で水を遠距離に移送するために作られていたはずである。サイフォンの原理を用いるのであれば、わざわざ長大な橋を作って水路を高いところまで持ち上げる必要はない。
サイフォンはローマ人よりもむしろギリシア人によってよく使われており、これにより起伏に富む地域で出費のかさむトンネルや重力流水路のための長く曲がりくねった溝渠を避けることができた。ローマ時代になるとサイフォンはほんの数例しか利用されていない。ペルガモンではエウメネス2世が建造したサイフォンを利用した水道があったが、ローマ時代には水道橋にとって替わられた。*12 また、カエリウスの丘とパラティヌスの丘はドミティアヌス帝が敷設したサイフォンで結ばれていたが、セウェルス帝は巨大なアーチを建設して給水路を変更した。*13 サイフォンが避けられた理由として、高圧に耐えるために小径厚肉の鉛管を並列に使用する必要があり大量に鉛が必要になることや、管壁から受ける抵抗により到達できる高度が出発点より低くなるという問題が挙げられる。リヨンでは4本の水道に9カ所のサイフォンがあったが、谷が深く水道橋の建設が困難であり、水源と市の水準の差にも余裕があるという地形条件からサイフォンが使われたのであろうといわれている。*14 ただ、サイフォンを利用するといっても水道橋が全く不要となるわけではないらしく、ウィトルーウィウスはサイフォンを利用した水道の建設について次のように書いている。

[流路は]もし谷がずっと連続しているならば斜面に沿って導かれる。谷底まで来た時、できるだけ長く水平が保たれるように、あまり高くない支持構造で支えられる。これがギリシア人のコイリアと言っている腹である。次いで向こう側の斜面に来た時、長い区間の腹から静かに盛りあがって丘の頂の高みに押出される。
しかし、もし谷に腹がつくられず、平らな支持構造もつくられないで、肱状部があるならば、水は奔流して管の接合部を毀してしまう。

ウィトルーウィウス『建築書』第八書 第六章 第五、六節 *15

文化的意義

ローマ帝国の文化的意義は、その支配をとおして地中海世界のすみずみにギリシア・ローマの古典文化を広めたことにある。

『詳説世界史研究』p. 64.

これはいわゆる「ローマ化」であるが、考古学的な研究の進展により「ローマ化」の影響は都市や要塞周辺、ウィッラに限定されていたことが明らかになっている。また、1990年代以降、ポストコロニアリズムの立場から、「ローマ化」概念は先住者の歴史や文化を軽視する植民地主義的な概念であるという批判もなされている。*16

*1:praenomenのGaeus, GnaeusがそれぞれC., Cn. と書かれるのはその名残り。

*2:松本克己「ギリシア・ラテン・アルファベットの発展」西田龍雄[編]『講座言語 第5巻 世界の文字』大修館書店 1981, p. 101.
S. ホロビン『スペリングの英語史』堀田隆一[訳] 早川書房 2017 [S. Horobin, Does Spelling Matter?, 2013], p. 65.
田中美輝夫『英語アルファベット発達史』開文社 1970, p. 78.
L. ボンファンテ『失われた文字を読む 6 エトルリア語小林標[訳] 大英博物館双書 學藝書林 1996 [L. Bonfante, Etruscan, 1990], pp. 33f.
J. ダンジェル『ラテン語の歴史』遠山一郎・髙田大助[訳] 文庫クセジュ 白水社 2001 [J. Dangel, Histoire de la langue latine, 1995], pp. 77f.

*3:ダンジェル op. cit., pp. 78-80.

*4:R. J. フォーブス『技術の歴史』田中実[訳] 岩波書店 1956, p. 72. [R. J. Forbes, Man the Maker, 1950.]
[2023.8.12追記]
コンクリートを用いた建築技術自体はギリシア人のエンプレクトン工法に学んだものであるが、ローマ人はそれをオプス・カイメンティキウム工法に発展させたり、またべトン工法を発明したりしている。(小林一輔『コンクリートの文明史』岩波書店 2004, pp. 11-15.)

*5:大塚浩司ほか『コンクリート工学[第3版]』朝倉書店 2017, pp. 5f.
また、この背景には、カトーが示した「セメントに用いる最良の石灰は、純白、最堅で、最重の石灰石を焼いて得られる」という原則が信奉されていたためという事情がある(名和 豊春「近代ポルトランドセメントの工業化 (豆知識)」『コンクリート工学』40(9) 2002, pp. 11-16. https://doi.org/10.3151/coj1975.40.9_11)らしいのだが、このカトーの出典は分からなかった。

*6:B. ハインリッヒ[編著]『橋の文化史――桁からアーチへ』宮本裕・小林英信[訳] 鹿島出版会 1991, pp. 59f. [B. Heinrich, BRÜCHEN: Vom Balken zum Bogen, 1983.]

*7:[2023.8.18追記]
消石灰の代わりに、あるいは消石灰と合わせて生石灰を使用していたという指摘がある。これにより、自己修復性をもたせる効果があり、現在までも残る建造物の強靭さに寄与しているという。
Linda M. Seymour et al., "Hot mixing: Mechanistic insights into the durability of ancient Roman concrete." Sci. Adv. 9, eadd1602 (2023). DOI:10.1126/sciadv.add1602

*8:森田慶一『ウィトルーウィウス建築書 〈普及版〉』東海大学出版会 1979, pp. 43f.

*9:[2023.8.12追記]
プリニウス『博物誌』にもこれについて記述がある。原文には〈in puteolanis collibus〉「ポッツオリの丘で」とある。puteoliはラテン語形であり、イタリア語ではPozzuoliである。
原文 Perseus Digital Library: Pliny the Elder, Naturalis Historia, liber xxxv, chapter 61
Wikisource: Naturalis Historia/Liber XXXV - Wikisource
英訳 Perseus Digital Library: Pliny the Elder, The Natural History, BOOK XXXV. AN ACCOUNT OF PAINTINGS AND COLOURS., CHAP. 47. (13.)—VARIOUS KINDS OF EARTH. THE PUTEOLAN DUST, AND OTHER EARTHS OF WHICH CEMENTS LIKE STONE ARE MADE.

*10:吉木文平『鉱物工学』技報堂 1959, pp. 450f.
本文中の〈Pozzoli〉の綴りは本書からそのまま引用している。昔はこちらの綴りの方が一般的だったのか、それともpozzolana(こちらにはpozzuolanaという綴りもあるようだ)に引きずられたのか?

*11:今井宏[著訳]『古代のローマ水道原書房 1987, 第三編「ローマ市の水道書」pp. 15f.

*12:R. J. フォーブス『古代の技術史 中 ―土木・鉱業―』平田寛ほか[監訳] 朝倉書店 2004, pp. 19-21. [R. J. Forbes Studies in Ancient Technology 1964-1974.(vol. I. Chap. 3)]

*13:今井 op. cit., p. 73.

*14:Ibid., pp. 28f.

*15:森田 op. cit., p. 226.

*16:南川高志「歴史への扉9 『ローマ化』という神話」服部良久・南川高志・山辺規子[編著]『大学で学ぶ西洋史[古代・中世]』ミネルヴァ書房 2006, pp. 122f.
Id.『新・ローマ帝国衰亡史』岩波新書 2013, pp. 41f.
Id.『海のかなたのローマ帝国 増補新版』岩波書店 2015, 第1章.
Id.「『ローマ化』論争」『論点・西洋史学』ミネルヴァ書房 2020, pp. 28f.