shaitan's blog

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第1章②-9【アテネ民主政の完成】

エフィアルテスの改革

サラミスの勝利とデロス同盟による支配圏拡大は、軍船の漕ぎ手として戦争に参加する下層市民たちの発言力を高めた。これを背景に民主派の指導者エフィアルテス Ephialtes は、前462年、貴族勢力の拠点であるアレオパゴス評議会から政治的実権を剥奪することに成功した。

『詳説世界史研究』p. 42

この国[=アテナイ]では貧乏人と庶民のほうが貴族や富豪よりもまさっているのは当然である、と思われている。その根拠は次のとおりである。民衆は船を漕ぎ進める者、国家に力を与える者なのである。操舵手、水夫長、水夫長補佐、見張り番、船大工、以上の者が、重装歩兵、貴族、成功者よりはるかに多く国家に力を与えている。

伝クセノポン『アテナイ人の国制』1. 2

この部分の記述に対応する史料として、アリストテレスを引いておく。

国制は国の或る役所なり或る部分なりが名声を博したり或いは成長したりすることから、或いは寡頭制へ、或いは民主制へ、或いは「国制」[=寡頭制と民主政の混合(1293b)]へ変化する、例えば[…]水夫として勤めた大衆がサラミス海戦の勝利の、そしてこの勝利を通じて海上勢力による覇権の原因となったので、民主制を一段と強化した。

ソポニデスの子エピアルテスは民衆の領袖となって[…]コノンのアルコンの年〔462/1年〕にこの会議[=アレオパゴス会議]から、それを国制の維持者たらしめていたところの附加的権能をことごとく剥ぎ取り、その一部は五百人会議に、一部は民会と裁判所とに与えた。

通説では、この改革は民主政をもたらした画期的な政変とされる。ただし、前487年にアルコン選出に抽選制が導入されてからはアルコン職は貴族が独占するポストではなくなっており、それから四半世紀を経た前462年当時は、アルコン経験者から構成されるアレオパゴス評議会の構成はかつてとは大きく変わり「貴族勢力の牙城」ではなくなっていたはずである、との指摘もある。*1

エフィアルテス暗殺後、民主派の指導者となったペリクレス Perikles(前495頃~前429)が民主政を完成に導き、

『詳説世界史研究』p. 42

こう書くと、エフィアルテスはペリクレスに暗殺されたようにも読めてしまうが、殺したのは反対派であり、同志ペリクレスではない。*2

アテネの役人

役人も評議員も、一般市民からくじ引きで選ばれた任期1年の役職で、再任は許されない。

『詳説世界史研究』p. 42

アテネ民主政は、一方で行政に参加する機会を一般市民に拡げながら、他方で役人が職権を濫用することに極度の警戒を怠らなかった。〉*3腐敗や専横を未然に防ぐため、同一の人物に長期間にわたって強大な権力が集中しないような制度となっている。
不正を見つけ罰するための審査の制度も整っていた。〈任期満了に際し、役人は全任期中の公務の内容についてもっとも厳密な審査を受けねばならないのである。この審査を執務審査エウテュナイと呼ぶ。その審査手続きは用意周到をきわめ、一般市民からの告発をも受けつけたから、苛烈とさえ言える厳しさであった。〉*4

将軍

軍事の最高官職である10人の将軍は選挙で選ばれ、当選すれば何度でも再任された。前5世紀のアテネの指導者は、この将軍の地位に就く者が多く、ペリクレスは15年連続して将軍に選ばれている。

『詳説世界史研究』p. 42

〈前487年にアルコン職にも抽選制が導入されると[…]、選挙で選ばれるストラテゴス[将軍]の重みが増し、ストラテゴスがアルコンに代わって最も重要な役職となるに至る。その後ペリクレスの時代には、各部族からひとりずつ選出するという原則にも変更が加えられ、一部族が二人のストラテゴスを出す事例も見られるようになった。[…]ストラテゴスは、職権上、民会や評議会での動議提案権を与えられており、その権限を用いて政策立案も行い、名実ともにポリスの最高指導者として、積極的に政策の決定と実行の両面に参加できた。〉*5

裁判

裁判は、やはりくじ引きで選ばれた多数の裁判員陪審員)が、民衆裁判所において投票で判決をくだした。

『詳説世界史研究』pp. 42f

アテネの裁判は公法上の裁判(公訴)と私法上の裁判(私訴)に区分され、ポリスの公的な利害が問題となる公訴は、…[略]…民会以上に激しい政治闘争の場となるのが常だった。有力な政治家が原告・被告となり、裁判の焦点になっている政治・外交上の問題に関して自らの信条や政見を陪審員たちに訴えかける法廷弁論は、民会での政治弁論以上に政治的色彩が濃く、強力なアジテーションに満ちて[いた。]…[略]…政治家をめざす野心的な若者は、有力な政治家を告発するという手段によって政界へのデビューをはかった。〉*6

弾劾裁判

一般市民が役人や政治家の不正を告発して裁判にかける弾劾裁判のような制度もあり、公職者の責任は厳しく追及された。

『詳説世界史研究』p. 43

アテナイの政治家とは、…[略]…民会に登壇して動議を提出し、決議として成立させる能動的市民、ないしその協力者にほかならない。…[略]…アテナイ市民でありさえすれば特定の公職を帯びている必要はな〉*7いわけであるから、前半の「役人や政治家」と後半の「公職者」の対応が不自然な気がしなくもない。ただ、公職者の場合は上述の執務審査においても一般市民の告発が行われていたわけであるから、ここで「弾劾裁判のような」と書いているのはそれも含めた表現なのかもしれない。
執務審査とは別に弾劾裁判エイサンゲリアと呼ばれる制度はある。〈弾劾裁判は、(1)民主政転覆ないしその陰謀、(2)売国罪、および(3)民会や評議会での動議提案者の収賄という、国家の存立にかかわる重大な国事犯に対して用いられた。役人だけでなく、政治や軍事に参加するあらゆる市民がこの弾劾裁判の対象となりえた〉*8。とはいえ、〈将軍が失脚あるいは処刑される例がきわめて多い〉*9

同盟貢租金

デロス同盟諸国から集めた莫大な額の同盟貢租金[…]をアテネ国庫に流用し大規模な公共事業を起こし

『詳説世界史研究』p. 43

この「流用」という部分は紙幅の関係で分かりやすく書かれたものであると思われる。『詳説世界史研究』の執筆者でもある橋場*10の著書によれば以下の通り。
〈[神殿の工費は]同盟諸国からの貢租をそのまま流用したと考えられやすいが、ことはそう単純ではない。パルテノン神殿の費用を直接支出している国家機関は、碑文の記述に従えば主としてアテナ女神の聖財金庫であり、これはデロス同盟金庫とは一応別の国庫である。[…]毎年の貢租からかならず「お初穂アパルケ」としてその60分の1がアテナ女神の聖財金庫に奉納されていたことは碑文からあきらかであり、そのほか直接間接に同盟支配から上がってくる収益がここに積み立てられたと考えるべきであろう。〉*11

*1:澤田典子『アテネ民主政』講談社選書メチエ 2020, pp. 95ff.

*2:「エフィアルテス」世界史小辞典編集委員会編『山川世界史小辞典(改訂新版)』山川出版社 2004, p. 106.

*3:橋場弦『民主主義の源流 古代アテネの実験』講談社学術文庫 2016, pp. 149f

*4:Ibid., p. 153

*5:澤田 op. cit., pp. 22f.

*6:澤田典子『アテネ 最期の輝き』岩波書店 2008, pp. 9ff

*7:橋場弦『賄賂とアテナイ民主制 美徳から犯罪へ』山川出版社 2008, pp. 14ff

*8:橋場『民主主義の源流』, pp. 157f

*9:Ibid., p. 159

*10:担当箇所は明示されていないが、氏の研究分野を考えると本節を執筆していないとは考えにくい。

*11:Ibid., pp. 80f