マラトンの戦い
将軍ミルティアデス Miltiades(前550頃~前489)に率いられたアテネの重装歩兵軍1万人は、ほぼ独力で約2倍のペルシア軍を迎えうち、これを撃破した。
『詳説世界史研究』p. 41.
〈彼[=ミルティアデス]は、ダリウス一世のスキタイ遠征(前513年頃)に参加したこともあるその前半生の経験から、ペルシアの戦術を熟知していたのである。〉*1
サラミスの海戦
「木の砦によって戦え」とのデルフォイの神託を軍船による決戦と解釈したテミストクレスは、市民・奴隷を問わず成年男性をすべて軍船に乗せ、
『詳説世界史研究』p. 41.
プルタルコスによれば、このときキモンが〈
オリエントへのまなざし
ギリシア人は、オリエントの専制支配からポリスの独立と自由を守ったという自信を深め、逆に異民族は自由を知らぬ臆病で野蛮な民であると信じるようになった。
『詳説世界史研究』p. 41.
〈男性優位のギリシア人社会が逆立ちしたかたちで東方に投影され、ペルシア王家では男が女に支配されているから軟弱で、国も衰退するのだとみなされた。こうして西方が東方に優るというオリエンタリズムと、男が女に優るというジェンダー視点が重なり、ギリシア=西方=男性的、ペルシア=東方=女性的という図式が成立する。〉*3
サイードは、アイスキュロスの悲劇『ペルシアの人々』について、オリエントに外在する非
*1:澤田典子 『アテネ民主政』講談社選書メチエ 2010, p. 44.
*2:プルタルコス「キモン」5. 2-3『英雄伝 4』城江良和[訳] 西洋古典叢書 京都大学出版会 2015, p. 12.
*3:森谷公俊「西洋古代における東方世界の表象」三成美保・小浜正子・姫岡とし子[編]『ジェンダーからみた世界史』大月書店 2014, p. 40.
*4:エドワード W. サイード『オリエンタリズム 上』板垣雄三・杉田英明[監] 今沢紀子[訳] 平凡社 1993 [原著1978], pp. 58f.
「表象」(原文: representation、仏: représentation)はフーコーの『言葉と物』で用いられている概念である。(同書訳注)
*5:強いて挙げるならば、以下の部分からは、自由な市民であるギリシア人という意識が垣間見える。
アトッサ 誰が首領となって[ヘラスの]軍隊に命令するのです。
コロス 誰の奴隷とも、人の従者とも彼らは呼ばれておりませぬ。
アトッサ どうしてそれで、侵入してくる敵兵を支えるのです。
(アイスキュロス「ペルシア人」湯井壮四郎[訳]『アイスキュロス・ソポクレス 世界古典文学全集 第8巻』筑摩書房 1964, p. 30.)Aeschylus, Persians, line 241-243.
*6:第1章②-3【ポリスの成立と発展】 - shaitan's blog 「ヘレネス」参照
*7:阿部拓児「アケメネス朝ペルシアの表象と現実」金澤周作[監]『論点・西洋史学』ミネルヴァ書房 2020, p. 12.