ギリシア文化の影響
大王の東方遠征から、もっとも長く存続したプトレマイオス朝エジプトの滅亡まで、ギリシア文化が東方の広大な領域に拡大していった約300年間をヘレニズム時代 Hellenism とよぶ。[…]この時代にはギリシア風の都市がオリエントやその周辺に多数建設され、これらの都市を中心にギリシア文化が広まった。
『詳説世界史研究』p. 49
ヘレニズム時代にはいるとギリシア文化は東方にも波及し、オリエント各地域の文化から影響を受けて独自の文化が生まれた。これをヘレニズム文化という。
『詳説世界史研究』p. 50
〈ヘレニズムという言葉は、[…]歴史学では19世紀ドイツの歴史家ドロイゼンが提唱した歴史概念に従って〉*1、上記引用のような意味で用いられている。〈しかし、アレクサンドロスの東方遠征やその後の支配が実際は広大な地域のごくわずかにしかおよばず、支配者のマケドニア人やギリシア人が活動した範囲も都市を中心に限定されていたから、ギリシア文化がオリエントに普及して両文化が融合したといっても、その程度は限られていた〉*2ことや、〈ペルシア人もまた、先行するアッシリア、バビロニア、エジプト、メディアなど多様な文化を吸収して独自の総合を遂げていた*3〉*4ことを考えると、〈ギリシア中心主義、それを受け継いだヨーロッパ中心主義の視点を深く内在させている〉*5概念であるという指摘には得心がいく。
大王の東方遠征のもたらした変化についても、近年の研究では〈大王はアカイメネス朝の統治組織を受け継いだので、帝国内の各地域から見れば支配者が交代したにすぎず、行政にも社会のあり方にも大きな変化は見られない〉*6という連続性が強調されている。更に、〈アケメネス朝ペルシアが地中海東部にまで拡大したことによって[…]さまざまな商品がギリシア貨幣とともにペルシアに流布し、ギリシア人傭兵がペルシア領内にはいっ〉*7ていたため、ギリシアの人や物の流入も東方遠征以前からあった。こうなると東方遠征をどう評価すべきか分からなくなってしまうのだが、〈結局われわれがなすべきなのは、ギリシア文化を含む多様な文化の、アジアにおける動向を実証的に研究していくという、当たり前のことしかないのではないか。〉*8という態度が良さそうに思える。