shaitan's blog

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第1章②-13【アレクサンドロス大王とヘレニズム時代】

ギリシア文化の影響

大王の東方遠征から、もっとも長く存続したプトレマイオス朝エジプトの滅亡まで、ギリシア文化が東方の広大な領域に拡大していった約300年間をヘレニズム時代 Hellenism とよぶ。[…]この時代にはギリシア風の都市がオリエントやその周辺に多数建設され、これらの都市を中心にギリシア文化が広まった。

『詳説世界史研究』p. 49

ヘレニズム時代にはいるとギリシア文化は東方にも波及し、オリエント各地域の文化から影響を受けて独自の文化が生まれた。これをヘレニズム文化という。

『詳説世界史研究』p. 50

〈ヘレニズムという言葉は、[…]歴史学では19世紀ドイツの歴史家ドロイゼンが提唱した歴史概念に従って〉*1、上記引用のような意味で用いられている。〈しかし、アレクサンドロスの東方遠征やその後の支配が実際は広大な地域のごくわずかにしかおよばず、支配者のマケドニア人やギリシア人が活動した範囲も都市を中心に限定されていたから、ギリシア文化がオリエントに普及して両文化が融合したといっても、その程度は限られていた〉*2ことや、〈ペルシア人もまた、先行するアッシリアバビロニア、エジプト、メディアなど多様な文化を吸収して独自の総合を遂げていた*3*4ことを考えると、〈ギリシア中心主義、それを受け継いだヨーロッパ中心主義の視点を深く内在させている〉*5概念であるという指摘には得心がいく。
大王の東方遠征のもたらした変化についても、近年の研究では〈大王はアカイメネス朝の統治組織を受け継いだので、帝国内の各地域から見れば支配者が交代したにすぎず、行政にも社会のあり方にも大きな変化は見られない〉*6という連続性が強調されている。更に、〈アケメネス朝ペルシアが地中海東部にまで拡大したことによって[…]さまざまな商品がギリシア貨幣とともにペルシアに流布し、ギリシア人傭兵がペルシア領内にはいっ〉*7ていたため、ギリシアの人や物の流入も東方遠征以前からあった。こうなると東方遠征をどう評価すべきか分からなくなってしまうのだが、〈結局われわれがなすべきなのは、ギリシア文化を含む多様な文化の、アジアにおける動向を実証的に研究していくという、当たり前のことしかないのではないか。〉*8という態度が良さそうに思える。

*1:岸本美緒ほか『新世界史 改訂版』(世B313) 山川出版社 2017, p. 38

*2:Loc. cit.

*3:例としてペルセポリスの浮彫りが挙げてある。

*4:森谷公俊『興亡の世界史 第01巻 アレクサンドロスの征服と神話』講談社 2007, p. 23

*5:Ibid., p. 24

*6:Ibid., p. 334

*7:梅村担「第二章 オアシス世界の展開」小松久雄編『新版世界各国史4 中央ユーラシア史』2000年, p. 97

*8:森谷 op. cit., p. 333