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第1章②-14【ヘレニズム文化】

エウクレイデス

エウクレイデス Eukleides(前300頃)は今日「ユークリッド幾何学」とよばれる平面幾何学を集大成し、

『詳説世界史研究』p. 50

エウクレイデスは工学、天文学、音楽、力学、円錐曲線に至るまでの様々な専門書を著している。*1 彼のもっとも偉大な著作『原論』(Στοιχεία)は幾何学の知識すべての集大成ではなく、むしろ "初等" 数学全体を網羅する入門書であった。*2 『原論』は13巻からなるが、幾何学のみを扱ったものではなく、うち2巻は代数的内容を、うち3巻は数論を扱っている。*3 また、最後の3巻は3次元の幾何学を扱っており*4、平面幾何学だけが扱われていたわけでもない*5。『原論』の1,2巻の大部分はピタゴラス学派の、3,4巻の大部分はキオスのヒポクラテスからの引用と考えられている。*6 このほかにも先人の業績に負うところは多いが、内容の整理配列を行ったのはエウクレイデス本人であり、他に証明のいくつかも自身で補ったと信じられている。*7 この『原論』は非常に出来が良かったため、それ以前の数学書が書き写されなくなり散逸してしまったという。*8

古典ギリシア

古典ギリシア語は、プラトンの作品のように論理的で緻密な哲学理論や、悲劇などにおける人物の感情表現を書き記すのによく適しており、ヘレニズム時代・ローマ時代をとおして地中海世界における学問や文学の共通の文語として広く用いられた。

「現代に生きるギリシア語」『詳説世界史研究』p. 50

ギリシア語には小辞(particle)と呼ばれる短い不変化の語が多数あり、論理的な関連や感情的な意味を表すことができる。これらは語順の自由と相まって、思考と感情を微妙なところまで表現しうる文を生み出したという。*9
H. ブラッドリは、ギリシア語の造語能力について、〈ギリシア語は合成語形成にほとんど無限といってよい力を具えており、またまれに見る完璧で規則的な接尾辞の組織をもっているので、どの動詞・名詞からでも、明瞭で正確な意味をもった派生語群を作り出すことができる。[…]ギリシア語の構造が科学用語の造語にうってつけなので、近代科学に特有なある観念を表す語が必要な場合には、かつてアリストテレスが必要に応じて試みたのと同じ方法で、新しくギリシア語の合成語・派生語を作るのが一般に一番便利なのである。〉*10 と述べており、近代の発明品の名称の例としてテレフォン(telephone)などが挙げてある。
ただ、上記のような言語の内在的性質があるとしても、「共通の文語として広く用いられた」のは社会言語学的要因の方が効いているのではないかという気がする。

ギリシア語起源の言葉

オーケストラ、コーラス、シーン、ドラマ、カタルシス、などの文学・演劇関係の語や、アトム(原子)、コスモス(宇宙)、セオリー(理論)などの科学関係の用語など、今日身のまわりでみられるギリシア語起源の言葉は非常に多い。

「現代に生きるギリシア語」『詳説世界史研究』p. 50

オーケストラ

古代ギリシアの劇場構成のうち、舞台の前にある舞踏や器楽、合唱のための円形の土間。*11 後にオペラで舞台と観客席の間で奏する器楽奏者のグループにも適用されるようになり、そららが独立して演奏する場合にも称されるようになった。*12

コーラス

語源はコロス(χορός)であり、古代ギリシアにおける合唱歌、合唱隊を指す。祭祀などの場で行われていたコロスの歌や舞踏から喜劇や悲劇が生まれたといわれている。*13

シーン

古代ギリシア劇場の舞台後方の建物スケネ(σκηνή)からきている。楽屋としての機能を持ち、外壁が舞台の背景となった。*14
なお、古代ギリシアの劇場の原型として欠くことができないものとしては、オルケストラ、スケネの他に観客がならんで座るテアトロン(θέατρον)があり、これは現代の「シアター」に通じる。*15

ドラマ

アリストテレス詩学』によれば、悲劇作家ソポクレスと喜劇作家アリストパネスはある観点から見れば同じである。なんとなれば、両者ともに登場人物たちが現に行動し行為(動詞形ドラーン、名詞形ドラーマ)しているかたちで描写するから。それゆえ、このような描写形式に「ドラーマ」(劇)という名前が与えられたと言われている。*16

カタルシス

もともと「浄化」「排泄」を意味する語であるが、アリストテレスが悲劇の要件の一つとして〈あわれみと恐れをひきおこすことによって、その種の諸感情の浄化(カタルシス)を達成するところのもの〉*17と挙げたことから、現在は主にこの意味で使われている。

アトム(原子)

原子論を提唱したレウキッポス*18 あるいはそれを発展させたデモクリトス*19を起源としてよいのであろう。*20

コスモス(宇宙)

ピタゴラス派の学者が宇宙を完全に調和した秩序体と考えて名付けたものであり、花のコスモスも同源。*21

セオリー(理論)

アリストテレスの著作の中世ラテン語訳に由来すると考えられている。*22

さて、日本語における外来語は明治以降大量に使用されていくが、英語からの借用が圧倒的に多く、あらゆる分野で使用されている。*23 その英語はフランス語を経由して(あるいは経由せずに)ラテン語から借用した語を大量にもっており、その中にはラテン語化されたギリシア語も含まれている。*24 これを考えると、普段目にする外来語でギリシア語と関係のあるものが多くとも特に驚くにはあたらない気もする。ただし、例えば花の「ヒヤシンス」は元を辿ればギリシア語のὑάκινθοςに辿り着くものの、ὑάκινθοςは先住民族からの借用語と考えられており*25、これを「ギリシア語起源の言葉」とは呼びづらい。それに対し、ここに挙げられている語はどれも十分にギリシア語起源であるといえよう。

*1:ボイヤー『数学の歴史1』(新装版) 加賀美鐡雄・浦野由有[訳] 朝倉書店 2008 [原著1968], p. 145.

*2:Ibid., p. 149.

*3:Ibid., p. 164.

*4:Ibid., pp. 168f.

*5:もしかすると、『詳説世界史研究』に書かれている〈平面幾何学〉は、球面幾何学などではないという意味なのかもしれないが、通常は「立体ではない」と解される用語ではないだろうか。

*6:Ibid., p. 162.

*7:Ibid., p. 150.

*8:中村滋・室井和男『数学史――数学5000年の歩み』共立出版 2004, p. 113.

*9:岩崎務「ギリシア語」東京外国語大学語学研究所[編]『世界の言語ガイドブック1(ヨーロッパ・アメリカ地域)』三省堂 1998, pp. 70f.

*10:H. ブラッドベリ『英語発達小史』寺澤芳雄[訳] 岩波文庫 1982 [S. Potterによる改訂版1968, 原著1904], pp. 108f.

*11:「オルケストラ」『ブリタニカ国際大百科事典』小項目電子辞書版 2016

*12:美山良夫「オーケストラ」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館 2014年12月更新版に基づく電子辞書版
なお、この項には〈古代ギリシアの劇場で、舞台とそれを囲むように設置された観客席との間にできた半円形の場所をさし〉との記述もあるが、〈半円形のオルケストラはローマ時代のものだけ〉である(新関良三「ギリシア劇の舞台」『世界古典文学全集月報(8)』 筑摩書房 1981, p. 1. [『世界古典文学全集第16巻 アイスキュロス・ソポクレス』附録])。

*13:「コロス」『百科事典 マイペディア』電子辞書版

*14:"skene" 『リーダーズ英和辞典』第3版 電子辞書版 研究社

*15:新関 loc. cit.

*16:アリストテレス詩学」藤沢令夫訳 『世界古典文学全集第16巻 アリストテレス筑摩書房 1966, p. 12.(1147a)

*17:Ibid., p. 16.(1449b)

*18:田中美知太郎「古代アトム論の成立」『古代哲学史講談社学術文庫 2020 [原本 筑摩叢書 1985], p. 88.

*19:Ibid., p. 92.

*20:『詳説世界史研究』46ページの「ギリシアの自然哲学者」の表ではデモクリトスに〈原子論の祖〉という説明がついているが、誤解を招くのではないか。

*21:寺澤芳雄[編]『英語語源辞典』研究社 1997, p. 288. "cosmos"

*22:Ibid., p. 1425. "theory"

*23:沖森卓也『日本語全史』ちくま新書 2017, p. 411.

*24:ブラッドベリ op. cit., pp. 103-107.

*25:岩崎 op. cit., p. 71.