shaitan's blog

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第1章②-5【スパルタの社会と国家】

スパルタは、ほかにはない特異な性格をもつポリスであった。
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このような特殊な社会と政治の体制は、それを定めたとされる伝説上の王の名からリュクルゴス Lykurgos の制とよばれる。

pp. 37-38

クセノポンの『ラケダイモン人の国制』では〈リュクルゴスは彼ら[=スパルタ人]に対して法を制定し、これに従って彼らは裕福になった…彼[=リュクルゴス]は他の国を模倣せず、ほとんどの国とは反対の考え方をして、祖国の繁栄を際立たせたのである〉*1として、リュクルゴスの定めた様々な独創的な制度を称賛している。しかし、〈いまもなおリュクルゴスの法律が変わらないままであると思っているのかと尋ねられれば、わたしは、もちろんゼウスにかけて、そうだ、とはもういえないだろう。〉*2とあり、本作品が著された当時のラケダイモン人がかつてとは変わってしまっているとも書いている。ただし、この作品はリュクルゴス賛美が主たる内容であり、ラケダイモン人の堕落を描いているのもリュクルゴスを高めるためという印象を受ける。

ドーリア系である1万人足らずのスパルタ市民(スパルティアタイ)は、まず自分たち以外のドーリア人と非ドーリア系先住民約2万人を中心市スパルテの周辺に住まわせ、普段は商工業に従事させ戦時には従軍の義務を負わせた。彼らをペリオイコイ perioikoi(周辺民)といい、身分は自由人ながらに国政には参加できない劣格市民であった。さらに、やはり非ドーリア系ではるかに多数の被征服民を奴隷身分の農奴とし、田園地帯に家族とともに住まわせて農業に従事させた。彼らをヘイロータイ heilotai(ヘロット helots)という。もともと「捕虜」を指す言葉で、スパルタ国家に所有される国有奴隷であり、スパルタ市民に隷属する身分であった。

p. 37

ヘイロータイが奴隷となった経緯として、ストラボンが伝える話は次の通り。〈周辺諸地域の住民はすべてスパルタに服従していたが、それでも平等に権利を持ち、従って、国政にも行政にも参加した。その名をヘイロテスといった。しかし、エウリュステネスの子アギスは平等だった諸特典を奪い、スパルタに貢納するように指令した。そこで、ほかの諸地域の住民は命令に服したが、ヘロス地区を領するヘレイオイ民は反乱を起こしたため、戦の結果武力で征服され奴隷にするとの宣告を受けた。…ラケダイモンはこれらのヘイロテスをいわば公共の奴隷とし、かれらにいくつかの居住地を指定し独自の公共奉仕を課した。〉*3
ペリオリコイはプラタイアの戦いにおいてスパルティアタイと同数の重装兵が従軍したが、ヘイロータイもスパルティアタイ1人につき7人の軽装兵が護衛として従軍した、とヘロドトスは伝える。*4ソクラテスの『パンアテナイア祭演説』によれば、これらの兵が危険な箇所に投入されたという*5

スパルタ市民は…フルタイムの戦士階級として、生産労働はいっさいヘイロータイに委ね、男子は7歳から親元を離れて兵営で集団生活をしながら厳格な規律のもとで軍事訓練に明け暮れた。

p. 37

プルタルコスは、リュクルゴスがエジプトに行き、〈戦士の種族がその他の種族から区別されていることに特に感嘆して、それをスパルタに移し、工人や職人を分離して、国家を真に洗練され純化されたものにした〉*6というエジプト人の見解を紹介している。
『研究』では触れられていないが、〈市民の妻たちは、軍事訓練のために留守がちの夫にかわって家を守る役割を担い、家の維持・運営のために積極的に采配をふるったらしい。〉*7 また、〈リュクルゴスは…自由人女性には出産が最重要であると見なしていたから、まず女性も男性に劣らず身体を鍛えるように命じた。次に、彼は壮健な両親からはより健全な子供が誕生すると信じていたから、男性と同様に女性に対しても体力と走力を競いあう競技会を開催した。〉*8 こうしたスパルタの女性について、アリストテレスは〈凡ゆる種類の放縦をこととし、贅沢三昧に暮しているのである。〉*9 とこき下ろし、エウリピデスは〈スパルタの娘などというものは、操正しくしようとしたとて無理なことじゃ。みなりはしどけなく、ふくらはぎまであらわにし、平気で家を空けて青年たちと走り競べや角力までとる。〉*10 とけなし、アリストパネスは〈なんてあなたは美しくていらっしゃるんでしょうね…健康そのものの美しい肌、身体じゅうの筋肉がぷりぷりしているわ、牝牛だってしめ殺せそうね。〉*11と賛辞を送っている。

言葉づかいも軍事優先で、手短で簡潔な言葉を話すことが重要とされたため、アテネと違い、弁論や文芸は発達しなかった。

p. 38「スパルタ教育」

これについてヘロドトスが面白い逸話を伝えている。〈ポリュクラテスによって国を追われたサモス人たちはスパルタに着くと、要路の役人に接見を許され、窮迫の事情を縷々として述べたてた。すると最初の接見の時には、役人はそれに答えて、話の始めの部分は忘れてしまったし、後のほうは何のことか判らなかった、といった。そこでサモス人たちは、二回目の会談の際には、余計なことは何一ついわず、袋を一つ持参して、袋に麦粉がない(あるいは袋に麦粉が入用)、とだけいった。するとスパルタの役人は『袋』というだけ余計だといったが、それでもサモス人援助を決定したのだった。〉*12
[2021.8.3追記]
トゥキュディデス『戦史』に登場するスパルタの使節は〈われらの口上はやや長きにわたるが、これはあながちわれらの習慣をあざむくものではなく、われらの習いは短きをもって足りるとき長きを用いないが、大事に及んで説明が望ましいときには言葉をつくしてのち、なすべき行動を起こす。〉*13 と断った上で長広舌を披露している。これはスパルタ人の特性の正確な描写なのか、それとも「演説」をさせるための創作なのか、どちらだろう?

*1:クセノポン「ラケダイモン人の国制」『小品集』松本仁助[訳] 西洋古典叢書 京都大学出版会 2000, p. 80.(1.2)

*2:Ibid., p. 104.(14.1)

*3:ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌 I』飯尾都人[訳] 龍渓書舎 1994, p. 676.(VIII. 5.4)

*4:ヘロドトス「歴史」『ヘロドトス 世界古典文学全集 第10巻』松平千秋[訳] 筑摩書房 1967, p. 417.(IX. 28)
なお、手元の本(1982年第5刷)ではこの部分が〈一人に五人ママの割合で〉となっている。

*5:Perseus Digital Library: Isocrates, Panathenaicus, section 180

*6:プルタルコス「リュクルゴス」4. 清水昭次[訳]『プルタルコス 世界古典文学全集 第23巻』村川堅太郎ほか[訳] 筑摩書房 1966, p. 25.

*7:桜井万里子「ポリス社会と家――アテネとスパルタ」三成美保、姫岡とし子、小浜正子[編]『歴史を読み替える ジェンダーから見た世界史』大月書店 2014, p. 38.

*8:クセノポン op. cit., p. 81.(1.4)

*9:アリストテレス政治学』山本光雄[訳] 岩波文庫 , p. 102.(1269b. 20-30)

*10:エイリピデス「アンドロマケ」松平千秋[訳]『エウリピデス 世界古典文学全集 第9巻』松平千秋ほか[訳] 筑摩書房 1965, p. 124. (ll. 591-606)

*11:アリストパネース『女の平和』高津春繁[訳] 岩波文庫 1951, p. 13.(ll. 79-81)

*12:ヘロドトス op. cit., p. 140(III. 46)

*13:トゥキュディデス『戦史』(中)久保正彰 岩波文庫 1966, pp. 150.(IV. 17)