shaitan's blog

長文書きたいときに使う.

第1章①-6【エジプトの統一国家】

河の賜物

ギリシアの歴史家ヘロドトスが「エジプトはナイルの賜物」(『歴史』2巻5章)と述べた

p. 20

『歴史』の該当部分は「今日ギリシア人が通航しているエジプトの地域[=ナイル河のデルタ地帯]は、いわば(ナイル)河の賜物ともいうべきもので、エジプト人にとっては新しく獲得した土地なのである。」*1となっており、注に「『ナイル河の賜物』という句は古来有名であるが、これはヘロドトスの先輩であるヘカタイオスがすでにそのエジプト史に使用した句であるという」とある。
ヘカタイオスのエジプト史は散逸しているのだが、アッリアノスが「エジプトについては歴史家であるヘロドトスとヘカタイオスの両者がともに、とこう言うのもエジプトの土地に関する著作が、ヘカタイオス以外の誰かの手に成ったものではないとしたうえでの話なのだが、ひとしくこれを『〔ナイル〕河の賜物』と呼んでいる。」*2と書いているので、おそらく注はこれを根拠としたものであろう。
なお、ストラボンはヘロドトスの言葉として伝えている*3

この名句はよく引かれ、「定期的なナイル川の氾濫が古代エジプトの繁栄を育てたものであり、その文明も経済もすべてナイル川に負うものだという意味」*4のように説明されるのだが、上に引用した通り、「デルタは河の堆積によってできた」*5程度の意味で使われている。他の部分で「メンピスより下手の地域…[略]…の住民は、あらゆる他の民族やこの地域以外に住むエジプト人に比して、確かに最も労少なくして農作物の収穫をあげている」*6といった言及はあるが、氾濫によって(土ではなく)水が自然にもたらされるおかげで収穫がもたらされるという書き方をしてある。
アッリアノスもストラボンも河川の堆積作用により平地が形成されるという意味でこの句を引いており、いつから繁栄と結び付けられるようになったのかはよく分からない。

ノモス

のちに政治的単位となるノモス Nomos (県)が

p. 20

教科書『詳説世界史 改訂版』(世B310)では、改訂前に「はやくから地域の政治的単位である県(ノモス)が…」だった箇所が「はやくから小規模な国家が…」になっており、理由としては「ノモスはギリシアでの呼称であることや、近年の研究動向を考慮して変更」とある。*7近年の研究動向についてはよく分からない。ノモスは「エジプト語セパトのギリシア語訳」*8とのことなので、用語として望ましくないということか。

治水

規則的なナイル川の氾濫は人々にとって天災ではなく恩恵であり、

p. 20

とあるのに

ナイル川の治水のために住民の共同作業と、彼らを統率する強力な指導者が必要であった。

p. 20

と治水が重要であったかのような記述がありよく分からない。ただ、「エジプトのいちばんの特徴は、ほとんど治水をしなかったというところにある…[略]…ナイル川を氾濫させないようにして耕地を守ろうという政治的なものがなかった」*9とはいえ「池をつくったり、湖に運河を途中から引きこんだりして水をキープしておくということはあった」らしいので、そういう意味での治水はあったのだろう。

クフ王のピラミッド

クフ王のピラミッドは、10万人の労働力と20年の歳月を要したと伝えられる

p. 21

クフ王のピラミッドについて、ヘロドトスは「常に十万人もの人間が、三ヵ月交替で労役に服したのである。…[略]…ピラミッド自体の建造には二十年を要したという。」*10と伝えているがこれのことか。
山川世界史小辞典には「正四面体を呈し、四面を東西南北に向けた第4王朝の大ピラミッドが」*11という記述があるが、ピラミッドは正四面体ではなく正四角錐である。

*1:ヘロドトス「歴史」松平千秋訳 『世界古典文学全集第10巻 ヘロドトス筑摩書房 1967, p. 73(II. 5)

*2:アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記(下)』大牟田章訳 岩波文庫 2001, p. 32(V. 6)

*3:Perseus Digital Library: Strabo, Geography, book 1, chapter 2, section 29

*4:江上波夫監修『新訳 世界史史料・名言集』山川出版社 1975, p. 160

*5:ヘロドトス op. cit., p. 76(II. 15)

*6:Ibid., p. 76(II. 14)

*7:『詳説世界史 改訂版』(世B310)おもな改訂箇所 https://www.yamakawa.co.jp/statics/textbook_files/revision/rev_seb310.pdf

*8:「ノモス」世界史小辞典編集委員会編『山川 世界史小辞典(改訂新版)』山川出版社 2004, p. 517

*9:吉村作治発言「座談会 四大文明をめぐる[一]河川」吉村作治ほか編著『NHKスペシャル 四大文明 エジプト』日本放送出版協会 2000, p. 203

*10:ヘロドトス op. cit., pp. 107f(II. 124)

*11:「ピラミッド」世界史小辞典編集委員会op. cit., p. 568