shaitan's blog

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人間力

世間には「人格を陶冶する」「高い倫理性を育む」「総合的な判断力を養う」といった曖昧な効用が根拠なく主張されるタイプの学問がある。大学の「役に立たない」学科がそういうことを言われがちであるが、そういった分野の教授においてすらそういった美点が培われていないさまを我々はよく見ている。

ベストセラーとなったエッセイ『人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』の中で著者のフルガムは〈人間、どう生きるか、どのようにふるまい、どんな気持で日々を送ればいいか、本当に知っていなくてはならないことを、私は全部残らず幼稚園で教わった。〉*1と書いている。
これに似たタイトルの本も数多く出ており、人々は様々な物事から人生で必要なものを学んでいるらしい。やることは何でもいいのかもしれない。空中浮揚の練習をするのもよいだろう。ヨーガ行者の成瀬雅春によれば〈空中浮揚の練習をすることで、人間として一回りも二回りも大きく成長すれば、結果として空中浮揚に成功してもしなくても、ある意味では大成功だといえる。〉 *2のである。もっとも、成瀬は精神や肉体の自己コントロールこそが空中浮揚の基本的必須事項であり、社会生活においても最も重要であるとして、〈毎日の生活が空中浮揚の基礎訓練である〉*3とも言っており、特殊な修行だけをすればよいなどといった珍妙な主張をしているわけではない。

ここまで読まれてお気づきの向きも多いであろうが、この手の「人間として生きる上で必要もしくは持っていることが望ましいとされている、単純な学力や体力に還元されない能力のようなもの」が何なのかよく分かっていない。この「人間力」を分類すれば多少は思考が整理されるのかもしれないが、そもそもこの手の曖昧な概念で言葉遊びをすることにあまり意義を感じない。データに基づかず、偏見に理屈をつけているに過ぎないからである。とはいえ、調査や実験の結果だとしてもそれの解釈で恣意性が大いに入りうるし、結果が独り歩きし捻じ曲げられて伝わるので社会に与える影響は大差なく、「科学的に『証明』されている」がために厄介さが増すだけかもしれない。そう考えると、めいめいが好き勝手に自分の好きな物事をヨイショしている(そして、嫌いな物事をdisっている)くらいの現状は案外悪くもないのだろう。

*1:R. フルガム『新・人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』池央耿[訳] 池央河出書房新社 2004, p. 23. (この部分は旧版の採録である)
フルガムは上梓から十五年を経て読み返し、新編では、〈むろん、そこ[=幼稚園]で学んだことは、文字通り人生に必要なすべてではなかった。すべてと言うにはほど遠い。〉(Ibid, p. 32.)とつけくわえている。ただし、その後には〈しかし、何よりもまずそもそもの基本原則を理解しなければ、個人も社会も、その欠陥に対して大きな代償を払うことになる。反対に、これをしっかり身に着けて実践すれば、本当に必要な知恵のすべては盤石の基礎を与えられるはずである。〉(Loc. cit.)と続く。

*2:成瀬雅春『ヨーガ奥義書第一巻 空中浮揚』出帆新社 1992, p. 255.

*3:Ibid. p. 189.